<出稼ぎ高齢者の見た日本>
 

傷つけられる自尊心−お互い日本人でも意識の差 (10)

10月31日(水)付けニッケイ新聞より転載


   
山梨県の温泉ホテルで、デカセギ者だけを集めた朝礼の席上、上山邦男さん(六六、北海道出身)は、真っ赤にゴルフ焼けした社長を目の前に「恐る恐る」言った。 「(この四十日間)一回も休みがないんですけど・・・」  社長の「何でも言ってくれたまえ」という言葉にこたえたつもりだった。ところが上山さんの意に反して、太鼓腹をゆすりながら彼は激怒した。

「おかしいよ、キミ! 君たちはブラジルで仕事がなくて貧乏で、日本まで働きにきているんでしょ。どうして休みがないなんて言うの」  あまりの剣幕に、上山さんはあっけにとられ、その場はぐっとこらえた。が、後からジワジワと怒りがこみ上げてきた。群馬の友人に電話し、別の仕事を確保するやいなや、単身、社長室に向かった。 「社長、申し訳ないけど、今日限りでこの仕事辞めさせてもらいます」 上山さんは重労働で腰が伸びなくなっていたため、半ばうつむき加減だった。
   
「キミ。"日本の習慣"では、辞める場合は三十日前に言ってもらうことになっているんだ」
そんなことも知らないのか、という視線を感じたその瞬間、キッと頭が上がり、無意識にたまっていた思いが吹き出した。
  
「あんた、私に何と言った。悪いけど私は六十三年間"日本人"をやってきた。どこの国に行っても、日本人だということを意識してやってきた。長年、日本人やってきたが、面と向かって"貧乏"だと言われたり、"日本人はどうだ"と言われたことはない!」 あまりの勢いに、さすがの社長も言葉をなくし、返事らしい言葉を返してこなかった。
   
何かと謙遜の多い上山さんの言葉だが、日本人であることに対する強い誇りと敏感さは、移民の誰しもが共感しえる感情ではないだろうか。また年齢を重ねるごとに日本人であるという意識が強くなっていくのは、自然なことかもしれない。

では、この日本人意識の強さは、どこからくるのだろうか。
   
単一人種かつ単一文化という世界でも特殊な"常識"をもつ日本に住んでいる限り、自分が日本人であることを自覚する機会は極めて少ない。在日日本人が「日本」もしくは「日本人」を意識するのは、大リーグのイチローや、オリンピックおよびワールドカップ日本代表選手団を応援する時か、海外旅行する時ぐらいで、日常生活の中で自分のこととして体験することはまれだ。
  
逆に移民は、当然のごとく日常的にブラジル人に囲まれて暮らしている。彼らとは顔形から文化・食習慣まで基本的に異なる。移住初期は特に、常に「ジャポネース」として自分を意識させられ、生活のあらゆる場面で日本とブラジルを比較してきた。比較し、相対化することで、逆に自分が日本人であるという意識が明確になる。その考察結果を同胞同士で語り合って、新聞や雑誌に発表する中で、集団として「日本人である誇り」を繰り返し強めてきた。数年で帰国することを前提としていれば、異文化や別の考え方に出会った時だけ「我慢」したり「慣れる」だけですむ。だが、永住を前提とした場合、日常的にそれが起きる。
  
好きだろうが嫌いだろうが、異文化のいくらかを自らに取り入れて、それを含めた新しい考え方を肯定的に作り直さなくては、精神的に安定して生活することは難しい。一生我慢し続けるなど普通はできないから、耐えられなくなった時点で帰国するなり、再移住しているだろう。
   
サンパウロ州モジダスクルゼス市で取材に応じてくれた上山さんは、当時を振り返り、付け加えた。「"日本人である"ことは、ちっとも財産をつくってこなかった自分の、たった一つの自尊心なんです」と。 (深沢正雪記者)
 

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