<出稼ぎ高齢者の見た日本>
「日本人」ではない移民 -
陰口たたかれる帰化人 (3)
10月19日(金)付けニッケイ新聞より転載
日本の日本語上では移民は「日系人」であり「日本人」ではない。
手元にある講談社『日本語大辞典』によれば「【日系人】日本人の血統をひいている人。ハワイ・ブラジルなどへの移民とその子孫など」とある。 でも、本当にそうなのだろうか。
さらにいえば、帰化人は在日日本人にとって「日系人」でさえないようだ。どうして同じ血統の一員ではないのだろうか。国籍と血統に関して、在日日本人の"常識"はとても狭い。
峯村康さん(六九、長野県出身)は、建築施工の管理責任者の一人として、千葉県などの現場でデカセギした経験を持つ。それ以前はコチア産業組合中央会の建築技師として長年働いてきた。産業開発青年隊員として一九六三年に移住し、ブラジルの建築技師資格を取る必要から、二年後に帰化した。
八九年ごろ、崩壊間際のコチア内部から聞こえてくる不協和音と、止めどないインフレ経済に耐え切れず、アサイ移住地の製綿糸工場を最後に辞表を提出した。「こんな所にいたら、とんでもないことになる」という危機感を抱き、全財産をたたんで帰国するぐらいの決意でデカセギに向かった。
ブラジルと同じ施工管理の職場だったが、大きなショックを覚えた。「日本は技術の進歩がすごくて・・・、想像以上でした」と当時を回想する。技術専門書を五十冊ほど買い込んで、毎晩遅くまで勉強した。 「とにかく日本では、ぜいたく品が町にあふれている。特にうらやましかったのは、日本では"人を信用できる"ということだった」
また「ブラジルでは考えられないことに、日本の現場ではオペラーリォ(作業員)が飛び回って、すごく活気がある。あの熱気がどこからくるのか不思議だった。給料だけでは理解できない」という。 そんなある時、必要があって現場の所長に履歴書を見せた。
「峯村さん、"ブラジル人"だったんですか?!」 すっとんきょうな声を上げられて、峯村さんの方が驚いた。在日日本人の間では、一般的に「日本人」=「同じ血統+日本国籍+日本在住」が暗黙の了解のようになっている。どれ一つ欠けても、「日本人」ではないわけだ。だから峯村さんの場合、「ブラジルから来ているけど、今は一緒に働いているから日本人」と認識されていたのに、国籍が違うと聞いて一気に「ブラジル人」にされた。
それからというもの、何かあるごとに「あの人はブラジル人だから」と陰口をささやかれているのを「ビンビン感じるようになった」という。移住者にとって国籍は、アイデンティティの一部を形成する重要な要素ではあるけれども、"血統"という生まれつき変更不可能なものとは次元の違う「書類上の変更」という意識を、どこかにもっている。もちろん「住所変更」するのとはレベルが違う。差し迫った生活上の必要に迫られたり、強い信念を持って、でなければ、そう簡単にすることでもない。
でも、移民社会においてそれは、現実的に起きていることとして理解され、了承されている。だから移民社会の日本語では「移民」=「日本人」であり、日本民族の血統であることは明らかだ。 移住という共通体験が、移民をして「新しい日本人意識」を作り出し、それが日本語に反映された。その体験がなく、皆が日本国籍である在日日本人は、"血統の共通性"がなかなかピンとこない。
そんな中でも、真剣に日本を気に入った峯村さんは、"常識"の違いを乗り越えて、家を買うことまで考えた。年金を受け取ったり、銀行で住宅ローンを組むには日本国籍の方が都合が良かったので、三年がかりで国籍復帰までした。でも結局、六十五歳の定年を機にブラジルへ戻った。今までつちかった建築技術と蓄えた資金を活用して、建売り住宅の販売を始めることにしたのだ。
「いろいろ考えたら、こちらも悪くないと考え直しました」と述懐する。
"祖国"日本で過ごした八年間が、そう判断させた。日本社会に適応しようと勉強を重ね、通常のデカセギと違って在日日本人作業者をも管理する仕事をこなし、家の購入まで考えた末、戻ってきた。 何が彼をそう判断させたのだろう。 (深沢正雪記者)
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