<出稼ぎ高齢者の見た日本>
福祉厚く薄い人情 ― 今は幸せすぎる老人 (7)
10月25日(木)付けニッケイ新聞より転載
最近「付き添い婦」の代わりに、「ホームヘルパー」という単語をよく耳にするようになった。これは日本の医療制度がこの十年間で大きく転換してきたことと関係する。その制度改正のあらましをたどる中で、付き添い婦が果たしてきた重要な役割を考えてみたい。
国際協力事業団からシニア・ボランティア(福祉)として派遣されている杉本和恵さんによれば、「一九七〇年代ぐらいまで、家族が交代で患者の付き添いをするのは当然のことだった。それが八〇年代に入ってバブルが始まり、庶民の所得が上がり、付き添い婦を雇う経済的余裕が生まれた。と同時に、核家族化が進み、親の面倒を見る習慣が減ってきた」傾向があるという。
付き添い婦需要は、バブルと共に膨らんだ。
ところが厚生省(当時)は、来るべき高齢社会をにらんで、八九年に「ゴールドプラン」、九四年に「新ゴールドプラン」を発表した。高齢化することにより、保険制度の負担で無償治療を受ける高齢層は膨らむが、保険料を払う若年層は減る一方だ。長期的に保険制度から支払われる負担を減らすためには、金のかかる病院看護より、負担の少ない在宅看護という大方針が示された。
そこで、患者の入院期間を三カ月間に抑え、看護婦を増やした病院を、より"看護基準の高い"施設と評価し、補助を出す政策を発表した。付き添い婦に支払われる給料も、患者が高齢者の場合、保険制度から負担されることが多い。入院期間が短ければ保険制度からの負担も少ないし、看護婦が増えればその分、付き添い婦を減らせる。 実質的に二十四時間労働である付き添い婦の労働条件は過酷であり、労働法に照らせば本来許されるものではなかったからだ。
それらを政策的に誘導するために「入院時医学管理料」という、患者を入院させた時に医療保険から病院に払われるお金がある。これは入院後二週間、一ヵ月、三ヵ月、半年という区切りで安くなり、特に三ヵ月を過ぎると大幅に削られる。つまり、病院にとっては長期入院患者が多ければ多いほど経営が厳しくなるよう方向づけられた。こうして病院での付き添い婦の役割を看護婦に、在宅の場合をホームヘルパーに肩代わりさせることによって、保険制度の負担を減らすと同時に、看護基準と労働条件をコントロール下に置く試みを始めた。
患者は三ヵ月を過ぎたら原則的に在宅介護になるので、受け皿としてホームヘルパーの大増員が必要になる。以前から子育てを終えた主婦の就職難が騒がれていた状況もあって、地方によってはホームヘルパー講習費用の一部を自治体が負担するなどして制度の定着を図った。
デカセギにとって、労働条件は改善されたものの、一日八時間働いてもせいぜい月収二十万円程度では、付き添い婦時代のそれと比べものにならない。また、研修を受けて資格を取る必要も生じた。ヘルパー三級よりは、二級、一級、さらには介護福祉士と、より高い資格を持っている人ほど高給になる。今では主婦の人気職種にまでなり、逆にデカセギは激減した。
このように日本の医療制度の転換期を支えたのが、デカセギ付き添い婦だった。
ファゼンダや開拓地での苦労を越えてきた経験があるからこそ、在日日本女性が耐えられないような労働環境にも我慢し、周りに慕われながら患者に尽くしてきた。核家族化して家族のきずなの薄れた日本で、子に代わって親の面倒を見、死に水を取りたがらない家族に代わって遺体を整えてきた。
第五回で紹介したAさんは言う。「日本の老人は幸せすぎる。福祉制度は充実し、物やサービスがすごく豊か。なのに、かえって文句が多い。世の中が便利すぎて、逆に人の情や家族のつながりが弱く、薄くなってるみたい」と振り返る。
彼女たちが見ているのは、郷愁の中の日本ではなく、今現在ありのままの日本だ。
(深沢正雪記者)
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