<出稼ぎ高齢者の見た日本>
 

日系人25.4万人が定住   -  季節労働者に代わって台頭 (8)

10月26日(金)付けニッケイ新聞より転載


  
今回の取材を通して、青森や山形から来ている出稼ぎ者の話が必ずといっていいほど話題に上った。そこで今回と次回は「出稼ぎ」と「デカセギ」の関係を考えてみたい。

本連載では、ブラジルからの日本就労を「デカセギ」(ポルトガル語dekasseguiからの外来語としてカタカナ)、日本国内の季節労働者を「出稼ぎ」と区別している。 "本家"「出稼ぎ」の最盛期は高度経済成長に沸いた一九七二年で、五十五万人にも上った。以後は減少の一途をたどり、八九年には半分の二十五万人になった。
  
農林省(当時)の『昭和四六年出かせぎ状況調査結果報告書』から、「出稼ぎ」最盛期直前の七〇年当時の様子がうかがえる。全国で三十四万二千人の出稼ぎがおり、その五五%が東北の農民だ。中でも青森県が群を抜いて多く、続いて秋田県や山形県、四位に岩手県という順位で、これらが日本を代表する出稼ぎ大県だった。
   
東北全体で十八万八千人、「農家の五軒に一軒」は出稼ぎしている。これが「農村の過疎化」に拍車をかけると当時は大問題になった。親の出稼ぎ生活が定着すると同時に、学歴社会が到来して都市部の大学に進学した若者たちは、活力を失った農村に戻らず、華やかな都会へ就職する傾向を強め、農村の過疎化を決定的にした。
   
一方、「出稼ぎ」の減少をしり目に、第六回で紹介したBさん(八三年から就労)のような一世の「デカセギ」は八〇年代初期から増加し、八五年ぐらいから日伯二重国籍者や二世の呼び寄せ組を巻き込んで膨れ上がり、九〇年四月の入国管理法改正で「デカセギ」主役の座を二世や三世に明け渡した。
   
二〇〇〇年現在、在日ブラジル国籍者は二十五万四千人であり、八九年時の「出稼ぎ」に匹敵する人数に達した。彼らが果たしてきた役割の一部を「デカセギ」が引き継いできたことは想像に難くない。 と同時に、デカセギ・ブームはブラジルに"コロニア空洞化"を引き起こした。日本経済の繁栄と経済のグローバル化により、かつて地方農村に向けられていた求人の矛先が、地球の反対側の移民社会に向きを変えた。農村から若者が都会を目指したように、デカセギ生活を繰り返す二世や三世たちは日本へ定住する傾向を強めている。
   
本来の「出稼ぎ」は「生計の必要を満たすために、一定期間生活の本拠地を離れて他地で働き、しかる後に必ず帰ってくる」離村就労形態と言われる。これに対して「デカセギ」は定住化が進展して就労先に生活の本拠地を移している人が多い。むしろ「移住労働者」とした方が実態に近い。
     
「デカセギ・シンドローム(日本就労不適応症候群)」、「デカセギ子弟の教育」など数々の"デカセギ問題"を引き起こしたブームの発端に、一世の先導があったことは明記してもいいのではないだろうか。 グローバル経済の中では、過疎化した東北農村の悩みは人ごとではない。
(深沢正雪記者)

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