<選挙速報>ルーラとセーラの決選投票に持ち込まれる大統領選
10月7日のフォーリャデサンパウロ紙の午後3時時点のホームページは、昨日(6日)行われた大統領選の第1回目の投票で、PT党(労働党)のルーラ候補が得票数39,230,429票(有効票の46.44%)、政府与党のPSDB党のセーラ候補が19,604,813票(23.21%)、PSB党のガロチーニョ候補が15,088,503票(17.86%)で、PPS党のシーロ・ゴメスが10,117,473票(11.98%)を獲得したことを報道している。そのため予想されていたがルーラ候補は有効票の過半数(51%)で第1回目の投票では勝利できず、選挙法規定により、1位のルーラと2位のセーラが10月27日に行われる2回目の決選投票で争うこことになった。 上記の得票数は投票総数の99%の開票結果であり、ほぼ間違いない結果であることにより、政府派候補のセーラにも勝利のチャンスができたことを意味している。しかしセーラが勝利を収めるには、敗北したガロチーニョとシーロに投票した選挙民の票を獲得しなければならないが、ガロチーニョはすでに全面的にルーラを支持することを表明しており、4位で落選したシーロ・ゴメスは敗北の原因はセーラのテレビ宣伝での同候補攻撃であるとして、通りすがりに会っても挨拶もしないほどの間柄である。したがって圧倒的に有利なルーラの決選投票の勝利が予想されており、セーラは2週間足らずの間によほど有効な手段を考えなければ、苦戦を強いられることになる。 しかし反政府派ではあるが、実質的には社会主義者ではない落選した2人の候補の選挙民は、現政権の継続には反対であるが、根っからの社会主義者のルーラには投票しないあろうとの意見の人が多い。事実シーロ・ゴメスに投票した人に限れば、筆者の周囲ではほとんどの人がセーラに投票すると言っている。したがって今回の決選投票は面白い展開をするものと思われる。 上記に述べた99%の開票結果が、選挙の投票終了後のわずか1日足らずで発表できたのは、ブラジルの優れた電子式投票の導入によるものである。一昨年に行われたアメリカの大統領の決選投票で、僅差のフロリダ州の開票を1票づつ手作業で数えていたのには、全ブラジル人が驚くと共に、投票ではブラジルが、技術王国のアメリカを上回っていることに誇りを持ったものである。 電子投票は今回で3回目、すなわち4年前の前回の大統領選以降であると記憶しているが(2000年には市長市議選があった)、投票様式は数字でコード化されている。例えばルーラは13でセーラが45であり、自分が投票する候補の数字をインプットすると、候補者の名前がパネルに現われるようになっている。もし名前が間違っていれば、修正のボタンを押すと表示された名前は消え、新たに正確な数字を押すことになる。その候補の名前が希望通りであれば、確認のボタンを押して投票は終了する。 今回の投票では大統領、州知事、上院議員2人、連邦下院議員と州議員の6人の投票をする必要があったため、各有権者は投票する候補の数字を間違えないため、それをメモした紙切れを持参していた(それは投票所にいる係員に聞いても、選挙法に違反するため教えてくれないことによる)。投票は数字のインプットを間違えさえしなければ、1分足らずで終了する。 ルーラの経歴: ルーラの正式名はルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバであり、1945年10月27日に東北伯のペルナンブーコ州、ガラニュン市に生まれ、現在は57歳である。父親は幼いルーラを母親に残し、ブラジル最大の港湾であるサンパウロ州のサントス港の沖仲仕として働くために出稼ぎに出ている。 セーラの経歴: セーラは正式名がジョゼー・セーラであり、1942年3月19日にサンパウロ市のモッカ区でイタリア移民の三世として誕生し、現在60歳である。父親はサンパウロの旧中央市場(現在も存在する)でオレンジのボックスを持って商売をしていたとのことで、セーラは学生時代に父親の手伝いでここ働いていたと言われる。このオレンジボックスは、現在オレンジジュースの帝国を築き上げた同じくイタリア移民のクトラーレ一族の発祥の場所でもある。なお日本移民も当時はこの市場の野菜部門では主流をなしており、レスリングで有名なアントニオ・イノキもその1人であり、力道山に見初められたのはブラジルでであった。 【ホーム】【経済評論コーナー】【2002年大統領選挙】 |