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「二世とは」

    伊東宏




間違っているかも知れないが、この「二世」なる言葉が日本語で使われ始めたのは、明治以降ではないかと想像している。もちろん、それ以前にも仏教用語(にせと読む)で現世と来世を表現するのに使われていたが、今、私たちが使う「二世」の意味ではない(現在でも二世の契り、などと夫婦の約束に使う事もある)。国語辞書などでは「二世」を「アメリカで生まれた日本の移民の子」と書くものも多いので、明治維新以降のハワイ移民に始まる北米移民と関連して、使用され始めたのではないかと想像する。しかも欧米では同名親子の息子を指す場合も多いので、これとの関係で英語のsecond(II)の訳としての新造語として登場したのかも知れない。
因みにブラジルでもJUNIOR、やFILHO、NETOを正式に苗字の後に付け加え、同性同名の息子、孫を区別する事もある。いずれにしても、日本移民の子で移民先で生まれ、その国の市民権を持つ者を「二世」とだれかが名づけたのではないかと想像はしているが本当のところは私にも分からない。

[NISEI」なる言葉は北米でも南米でも外来語として、その国の言葉に定着しているのであるが、決してドイツ移民の子をその国の言葉で「ドイツ人のNISEI」とは言わないで、あくまで日本移民の子に関して使用されているのは興味深い。ブラジルの辞書「NOVO DICIONARIO AURELIO」でもNISEIを「アメリカで生まれた日本人の子」としているので、このNISEIの言葉の起源は日本人のアメリカ移住に関連しているものと思われる。
最近サンパウロに増えている韓国移民の子に関しても、「NISEI」とは決して呼ばないのはブラジルでも同じである。しかし、日本人だけがなぜ「二世」なる言葉を使って、移民先で生まれた日本人の子のIDENTITYを表現しようとしたのでろうか。アメリカ人にとっても、ブラジル人にとっても、「一世」「二世」「三世」をひっくるめて「JAPANESE OR JAPONES」と通常呼ぶから、「二世」なる言葉にに拘ったのはやはり日本人であると思う。その根底には、たとえ移民先で生まれても「日本人の子供は日本人であらねばならぬ」という意識があるのであろう。これはひょっとして日本の鎖国の歴史に関係しているのかも知れない。


本来の日本人は蝦夷人あるいはアイヌ人のような原日本人を除き、その起源は大陸からの、また東南アジア諸島からの移住者の混血である事は学術的に証明されている。天皇家ですら、古代史家として第一人者である江上波男東大名誉教授によれば、「日本列島に初めて統一国家を樹立した大和朝廷の天皇族は半農半牧の遊牧民族の一つ、中国の秦王家の出身」とされているし、「天皇家は朝鮮半島出身の王家で、宮内庁が天皇陵の発掘に消極的なのは、陵の発掘で天皇家と朝鮮との緊密な結びつきが暴かれる事を怖れるゆえ」とする真面目な本も発行されているという。
にもかかわらず、鎖国によって外部との交渉や日本への外来人が来なくなった頃から、いつのまにか混血の事実が覆い隠されて、日本人純血意識みたいなものが、皇室に関しても、国民に関しても徳川時代に徐々に育成されてきたのであろう。


この意識とヨーロッパの国で種々の民族が混血したり、混血しないまでも一つの国に複数民族が同居しており、王家ですら他国の王家より婿や嫁を迎える、あるいは王を迎えるという事が絶えず歴史上おこり、ヨーロッパ各国の王室が親戚そのものというのとはやはり大きく異なるであろう(例えばエリザベス女王の夫であられるフイリップ公はギリシャ王家の出身であるし、英国に短期間住んで驚いた事はウエールズでは英語でないウエールズ語が併用され、スコットランドでも田舎ではスコットランド語が使われ、同じ英国人といっても容姿すら異なる事実であった。スコットランド人は決して自らをイングリシュとは言わず、スコティシュかブリティシュとか言う)。


豊臣秀吉の時代までは文化人や技術者と言えば、中国や朝鮮からの外来者も多かったわけであるから、恐らく、日本人たる確固たるIDENTITYはなかったのではないだろうか。ところが250年にわたる鎖国からの開国の事実と、なんとしても西洋の列国に対抗する為、藩意識から脱皮して、一日も早く日本国として、国民の間に日本国民としての意識を打ち立てる必要があった為、明治維新の思想としての国家神道を打ち建て、「万世一系の天皇」「純血日本人」なるIDENTITYを意図的に強調する必要があった事実に、外国に移住しても日本人であることに拘る「二世」意識の源流を求めるのはこじつけであろうか。

いずれにせ、この「二世」なる言葉は私にはある種の悲劇的なニュアンスを持って生まれ出てきたものと思う。いみじくも「二世」の「二」が「SECOND」の訳で、「二流、二級」の意味合いを持って生まれ出たとするのは、言い過ぎであろうか。やはり、「二世」なる言葉が「日本人ではない、アメリカ人でもない」あるいは「日本人でもない、ブラジル人でもない」というネガチブなニュアンスで使用されているのは事実であると思う。世界のあらゆる国から、北米にブラジルに多くの移民が移住したが、日本人ほどその子孫のIDENTITYに苦慮した移民は少ないであろう。その結果として「二世」なる中間語を発明したのかも知れない。

ブラジルの場合、確かにかってのドイツ移民でも、最近の韓国移民でもその閉鎖的コロニーは日系のそれと似ているようにも見えるが、彼らが決して自らの子をブラジル人と見做さず、はっきりとドイツ人、韓国人としてその市民権の如何にかかわらず、意識したのに比して、日本人の場合は「日本人の両親から生まれたのであるから、たとえブラジルで生まれても、ある程度、いやかなり、日本人であらねばならぬ」というこの「かなり」、「ある程度」という意識が問題を複雑にしたと思う。移民が「この国には金もうけに来たのであるから、成功の暁には故郷に錦を飾る」という意識の時は、はっきりとブラジル生まれの子を日本人としてなんの疑いもなく意識し、教育していたが、その故郷に錦を飾る、という夢が破れた時、明治以来の強い作為的なIDENTITY教育の後遺症みたいもののせいか、夢破れた後も「ブラジル生まれだから、たとえ両親が日本人であっても、立派なブラジル人として育てる」、という意識に一足飛びに転換出来なかったものと思われる。

しかし、一方、日本人移民がかなり、移住初期から「家の宗教」を簡単に捨て、カトリックの洗礼を受けたり、ブラジルの田舎の慣習どうり、子供の洗礼にさいして、その地のブラジル人の有名人を洗礼の代父や代母として迎えたのであるから、たとえそれがかなり親の功利的な思惑からであったとしても、文化的には「ここはブラジル」という現実容認の意識もあったように思われる。

文化人類学者として、日伯で著名人であった故斎藤広志博士はその古典的な著作「外国人になった日本人」の中で「二世のパーソナリティをたとえて言えば、饅頭がごときものである。中身には餡がる。アンコの部分は、幼少期に形成されるベーシク・パーソナリティ(基本型性格)にあたる。周りの白い部分は、成人化のプロセスで後期に形成されたペリフェリー・パーソナリティ(外縁的性格)と呼ばれるものだ」(p.128)とされ、成長とともに、ブラジル人社会とのコンタクトが増えるに従い、「アンコの部分と皮の部分とが違和感を呈するものだと思う」と書かれている。言い得て妙ではあるが、喩えが饅頭としたところに、問題があったと思う。饅頭とするからアンコが多くなれば皮は薄くなり、皮を厚くすればアンコが少なくなるというジレンマに陥る。丁度「二世」なる言葉が「二世はブラジル人か、日本人か。いや、完全なブラジル人でもなく、そうかといって完全な日本人でもない。どちらかといえばその中間」というような否定的なニュアンスのジレンマに陥るのと同じである。「日本語もポルトガル語もしゃべれていいじゃないか」は実は「日本語も完全でなく、そうかといってポルトガル語も完全でなくなる」という恐怖と悩みを多くの海外の日本人の子弟に与えてきたのは事実である。

饅頭以外の適当な喩えが見つからないのであるが、要するに、ブラジルで生まれで、その地で暮らしてゆく日本人の子弟は、たとえ両親が日本人であっても、まず100%完全なブラジル人であるべく努力する必要があり、両親も極力、子をその意味で支援する必要があると思う(ブラジル的文化と教養は、ほぼ一世の親から得る事は現実には難しく、見よう見まねで自力で勝ちとらねばならない、のであるから大変な努力が必要ではあるが)。そしてその上に、一人一人の環境と素養と努力も加わり、さらに何十%かの両親の生国の文化を受け継いでいくのである。したがって、「二世」なるネガチブな表現を止め、「日系ブラジル人」と言うとき、その人は100%ブラジル人でさらに何十%かの日本文化の担い手というポシチブな面が表に出て来るのではないだろうか。ブラジル人としては百何十%となる分けで、言葉の綾ではなく、本質的な問題意識のキーポイントであると思う。

現実にイタリア人移民の子はだれも、自らを「二世」のような中間色の言葉で表現せず、ブラジルで生まれた時から、100%ブラジル人として意識し、しかもその上に、両親もしくは祖父母から受け継いだ何十%かのイタリア文化を併せ持つ「百何十%」のブラジル人である。言語学者に言わせると「他の外国語を話すようになると、自国語のレベルが落ちる」というのは俗説で、逆に「外国語が出来る為には自国語が完全に理解し話す必要がある」という。重要なのはこの点である。「併せ持つ」と言う事が肝要で、其の為、当然多くの努力を必要とはするが、決して不可能ではないのである。この意味で日系ブラジル人は生国のブラジルの言葉と文化と、両親の生国の言葉と文化を居ながらにして、「併せ持つ」特典を与えられた素晴らしく恵まれた存在である。日本語も外国語として、日本文化も祖父母の国の外国文化として吸収すれば良いのである。したがって、アメリカやブラジルのような移民で形成された国は、世界の種々な異なる文化を継承出来る国である(アメリカはその成果としての花を咲かせたのに比し、ブラジルは来世紀に望みを託さねばならないが)。しかも、それは他を駆逐するという思考でも、どちらが優劣であるという判断でもなく、多様性を容認し、違いを認めつつも他の文化への尊敬から出発し、時間をかけて自国独自のものにしていくプロセスこそ、アメリカやブラジルのような多民族国家の基本であろう。日系ブラジル人も一人一人が、そのプロセスに参与する戦士であると思う。
(98・11・2)

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