日本で芽生えるブラジル移民の新たな音楽

  アンジェロ・イシ(武蔵大学専任講師)


      
日系人を中心とした27万人ものブラジル人が日本に住み、工場などで主として非熟練労働に従事していることは、ようやく一般市民の間でもよく知られるようになった。テレビや新聞では、「日系人労働者」の日本への経済的貢献が肯定的に取り上げられ、「隣に住むブラジル人」がいかに地域住民に「迷惑をかけて」いるかが否定的に語られてきた。
   
しかし、在日ブラジル人たちのバラエティに富んだ文化活動については、研究者の間でさえあまり知られていない。「カーニバルの国」からやってきた人たちが「演歌の国ニッポン」でサンバを踊って「ラテンの乗り」を持ち込んでいるという、分かりやすくて一面的な話はたまにレポートされるが、それが(ジーコのようにサッカーを日本人に教えることと並んで)ブラジル人による日本への唯一の(あるいは最大の)「文化的貢献」だと思われては困る。多民族・多文化国家で生まれ育った彼ら・彼女らには、それに見合った多様な文化活動が期待できるはずだ。
    
そこで本稿では、ブラジル人の文化がいかに誤認されてきたかについて事例を示し、次いで移民たちが日本で生み出している独自の音楽を紹介する。

  
ディスコで響く音楽

日本の各地で週末に開かれる、ブラジル人によるディスコ・パーティに足を運んだ日本人は皆無に等しい。ほとんどが土曜日から日曜日の夜中に行われ、時計が0時を廻った頃にようやく人が集まり始めるため、ブラジル人コミュニティについて取材をする人たちも「またの機会に」とあきらめるらしい。
   
これらのディスコに行けばすぐ分かることだが、移民たちが踊っているのはサンバでもボサノバでもない。かなりの高音で会場を沸かせているのは欧米発の英語のダンス・ミュージックなのだ。ブラジル人と日本人の「文化の違い」ばかりを夢中で探したり、強引に「異文化摩擦」を語りたい人には申し訳ないが、群馬県大泉町のブラジル・ディスコと、六本木の「普通のディスコ」との間には、少なくとも音楽的には大した差はない。
    
もちろん「ディスコに行くこと」がその人にとって何を意味するのかを考えた場合、異国に住むブラジル人にとってそれは単なるレジャーではなく、「憩いの場」であり「居場所」である。その意味では日本人がディスコに行く「動機」や「目的」とはわけが違うことは承知している。しかし、現にブラジル人に対するイメージが安易にサンバと結び付けられている中で、意外にも似かよっている「国境を越えた共通の若者文化」を見落とすようでは、本当の意味で「在日ブラジル人の文化」を理解したことにはならない。
   
この問題についてあらためて考えさせられたのが、今年の3月に東京・新宿で上演された「世紀末のカーニバル」という演劇であった。ブラジルから「群馬県のある小都市」にデカセギにやって来た、3世代の日系移民一家の物語である。これは地人会という、もともとブラジルとはとくに関わりのない劇団による企画で、原作者も演出家もブラジルに行ったことはない。私は彼らと偶然、群馬県大泉町の「ブラジリアン・プラザ」で出会ったが、その時点では台本はほぼ仕上がっていた。作者は50冊以上の関連本を読み込んで情報収集をしたという。その意味では、この作品はよくも悪くも、多くの日本人が抱いている「ブラジル人像」を反映しているといえなくもない。
   
当初、私はポルトガル語の台詞の翻訳と、二世や三世を演じる日本人俳優のための発音指導を頼まれた。次第にスタッフとの交流が深まり、傲慢にも脚本への助言や「日系移民の実態や意識に関するコンサルティング」まで務めることになった。多くのアドバイスは採用されたが、興味深いことに、音楽をめぐる私の変更案は不採用だった。以下、私が書いたメール文の一部を引用する。
    
『...たびたび「ボサノバ」の話題が、サントラとしてだけでなく、セリフの中にも出てきますね。ところが、日本に来ている日系ブラジル人はほとんどボサノバは聞かないし、興味ないのです! 多くの日系人は台詞に出てくる「ボサノバの神様、バーデン・パウエル」など知りません。 ....仮に皆さまが「ブラジル人にも観てもらって、充分にリアリティがある物語として納得して頂きたい」という願望をお持ちでしたら、やはりブラジル人たちがより親しんでいるブラジルのポップソングをサントラやセリフに盛り込んだほうが良いのではないか、と考える次第です。(以下、省略)』
   
結局、本番を鑑賞してみれば、劇中のブラジル人たちはどこまでも「明るく」、「元気良く」、名曲「イパネマの娘」を踊っていた。しかし現実には「イパネマ」を踊るブラジル人などいない。
    
「日系ブラジル人移民」を主人公にした「ドキュメンタリー・タッチ」の物語が、紀伊国屋サザンシアターというメジャーな劇場で毎回、数百人規模の観客を動員したことはそれ自体が快挙であり、関係者には素直に拍手を送りたい。しかし、滅多にないせっかくの機会であったからこそ、マスコミが普段から描く偏ったブラジル人像を打ち崩すくらいの気迫で移民の素顔を描ければ、さらに有意義な舞台が実現したのではなかろうか。
  

多様なサウンド
     
では、どのようなブラジルのサウンドを私は日本のみなさんに知ってもらいたかったのか。例えば1997年に群馬県在住のブラジル人音楽家たちが、工場で働いた貯金を投入してリリースしたCD“Kaisha de Musica”(カイシャ・ディ・ムジカ)の各曲にはハードロック、バラード、セルタネージャ(カウントリー)、ポップスなど、様々なジャンルが入り交じっていた。しかもその歌詞では私が「デカセギ語」と称している、まさに移民ならではの新語・造語が使われている。これはブラジルの日系移民が話すコロニア語とは異なった、在日ブラジル人特有の言葉だ。
     
2003年に東京・銀座のソニービルで開かれた在日ブラジル人のアーティスト志望者のための「ドリーム・ファクトリー・オーディション」でも、全国からの候補者が歌った曲は多様性に満ちていた。定番のボサノバや演歌に加え、オペラやロックを熱唱した人もいた。そしてその中でひときわ注目され、見事にプロデビューへの支援を約束されたのが、ブラジル人と日本人のジョイント・グループ“Tensais MC’s”であった。テンサイズの歌は「日本的」でもなければ「ブラジル的」でもない。しかし、ブラジル人が移民として来日していなければ生まれなかったであろう、「日本発」の新たな「ブラジル音楽」なのだ。
    
彼らの歌は米国でアフリカ系ミュージシャンが始めたヒップホップで、メッセージ性に富んだ歌詞を重視する。その歌詞も日本語とポルトガル語が絶妙に融合し、まるで音楽を通して日本人とブラジル人の共生の可能性を堤唱しているかのようだ。彼らは今年の3月にファースト・アルバムを出した。アルバム名でもある「Faca a coisa certa」(正しいことをせよ)という曲は、「日本人向け」と「ブラジル人向け」のバージョンが1曲づつあり、そのいずれもがバイリンガルだ。したがって歌詞カードの裏面の「対訳」も日伯両語という、珍しい構成になっている。そのブラジル版の歌詞の一部を私なりに邦訳してみた(注:アルバムの歌詞カードの邦訳とは異なります)。

  
「この曲を1908年に笠戸丸に乗船し
ブラジルに夢を託した人々に捧げる
なぜなら、彼らがいなければ
誰もここにいなかっただろう
そしてTensaisの歌も聞けなかったはずだ

  ...............

1908年、ブラジルの地を
最初の日本人労働者が踏んでいた
サンパウロやパラナなど、
あちこちと、離ればなれに

  ...............

  2003年、悪夢は続く
静岡県の路上にはブラジル人の浮浪者がいる
苦労や苦痛に満ちている

 ...............

コーヒー園から人材派遣会社まで
一世紀に渡って奴隷制が国境を越える
デカセギ、奴隷たち
現在、過去.....
未来? オレたちこそがそれを変えられるのだ...」
    

   
2008年の日系移民100周年記念祭に向けた準備はすでに始まっているが、日本におけるブラジル人移民の文化活動をも吟味しない限り、一世紀に渡る移民史が真の意味で総括されたとはいえまい。そのためには政治・経済の諸問題ばかりを重視せず、広義の「文化」に目配りをし、Tensaisなどの、「在日ブラジル人移民1世」による音楽にも耳を傾けなければなかろう。


     

【(社)日本ブラジル中央協会発行 会員向け隔月刊誌
『ブラジル特報』 2004年7月号 掲載】


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