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「真夜中」

  赤 嶺 尚 由


    
不正汚職などのありとあらゆる社会的な悪事が国の隅々まではびこり、何でもやりたい放題、といった感じが日増しに強まる状況の中にあって、この国で一番してはいけないこと、ほとんどタブーといってもいい事柄がある。それは、何かといえば、肌の色が黒いだの白いだの、男であるだの女であるだの、身体障害者であるだの健常者であるだの、といった理由で人間を差別することである。

この人種差別のことは、1988年10月5日から施行された現憲法でもって固く禁じられている。特に個人の権利の擁護色を過度に打ち出していろいろな問題を派生させ、その弊害が機会あるたびごとに指摘されているブラジルの現憲法であるが、社会不安の大きな原因となりかねない人種の差別を表立って禁止したことは、現憲法の数少ないメリットの一つかもしれない。そういえば、かつてどのアパートのエレベーターの扉の上の方に掲示されていた「訪問客用」と「使用人用」の張り札も何時の間にか目に付かなくなった。

では、この国で人種の差別が憲法の規定通りになくなったかといえば、決してそうではない。表立った「積極型差別」は、確かに影を潜めたとはいえ、当事者同士が知らず知らずのうちに犯してしまう「消極型差別」は、まだ厳然として存在するようだ。例えば、高級レストランなどには「黒人立ち入り禁止」の表示はもちろん出されていないが、今でも黒人たちの方が遠慮してまず入ろうとしない。なんとなく入りにくくさせるような雰囲気がある。これなども一種の「消極型差別」と理解できるのではないだろうか。

この国の夜学に通う高校生らの帰宅時間は、かなり遅くて大体が夜の11時半過ぎだろうから、帰りの道すがら冗談を言い合い、ふざけ合う時など、黒人の生徒仲間にたいしては、多分その時刻の闇の深さを意味してか、「メイアノイテ(真夜中)」というそうである。何やらとても意味深長な呼び方であるが、もっと手取り早く簡単にネグロン(黒ん坊)といわないで、わざわざ「真夜中」と表現するところに、相手をなるべく傷付けまいとする仲間同士の気配りみたいなものとおかしみと微笑ましいものが感じられる。と同時に昼間働いて夜遅くまで働かなければならない夜学生たちのペーソス(哀愁)も伝わってくる気がする。無意識のうちにもそういった、なかなかしゃれた気遣いをするからこそ、この国では人種差別に根差した社会問題がなかなか発生しにくいし、また、西を向いても東を見ても、世を挙げて不正汚職だらけといった殺伐とした世相の中で明るさや余裕や潤いといったものを失わないでいることができるのだろう。同時に、それがこの国の隠れた魅力の一つになっている。

サンパウロのピッタ市長にインピーチメント(政治弾劾)裁判へのゴーサインが出された当日のある有力伯字紙の一面記事の中に「初の黒人市長が窮地に立つ」といった少し穏当を欠く表現がなされていたが、同市長の罪状の数々が明るみに出されるにつれ、マスコミにも憲法の中の人種差別禁止の規定に抵触する感情的な表現が増えてきている感じがなきにしもあらずだ。しかし、弾劾裁判が今後山場を迎えるに従い、黒人市長であ事実を指摘する必要がますます出てくる場合に、仮に「メイアノイテ(真夜中)の市長」ではいかにも収まりが悪いような気がする。

(文責:ソール・ナセンテ人材銀行代表 赤嶺尚由)


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