ブラジルの国民食フェイジョアーダのルーツ“論争”

岸和田 仁(ニチレイ 元ブラジル駐在員)


         

たとえば外国に長期間住んだり、あるいは長旅をしていて自国の料理に1ヶ月以上もお目にかかれなかった時、一番食べたくなるものはなんだろう。ドイツ人なら白ソーセージとザワークラウトに黒パンだろうか、アメリカ人はやはりハンバーガーかホットドッグだろう。日本人ならお茶漬けか寿司か、はたまたラーメンか。では、ブラジル人の場合はどうか。それは、フェイジョン(インゲン豆)かフェイジョアーダだ。たとえば、「意識化」理論の教育学者パウロ・フレイレは1979年亡命生活を終え十数年ぶりブラジルに帰国した時、「今はフェイジョンとファリーニャ(マンジオカ粉)をひたすら食べたい」と新聞で答えていた。また、あるブラジル人実業家は筆者に「2週間くらいの長期海外出張から戻った時は、空港からお気に入りのレストランに直行しフェイジョアーダを頼むんだ、あの豆と肉の煮込みを食べるとブラジルに帰ってきたと実感するんだ」と話してくれたが、豆料理なしで生きていけるブラジル人は限りなくゼロに近い。いや、日本人だってブラジル生活を経験したものはフェイジョアーダと聞いてヨダレを垂らさないヤツはいないはずだ。たしかにブラジル人にとっては、フェイジョアーダとファリーニャを混ぜこぜにしている時が至福タイムだ。
      
そんな国民食フェイジョアーダはいつ、どのように生まれたのだろうか。「主人の食べない豚の鼻、耳、尻尾、内臓や屑肉など廃物活用して黒人奴隷が黒インゲン豆と煮て食べるようになったが、美味そうに食べる奴隷たちをみて主人もまねするようになり、ブラジルの代表的国民料理となった」というものが、今日広く信じられている通説だ。
      
なんでも哲学的にとらえ叙述したがるフランス人の表現によれば、次のようになる。「真にブラジルのものと呼べる唯一の料理、それはバイア料理だ。それ以外のものは、とりあえずおなかを一杯にするための一つのやり方でしかない。だって<フェジョアーダ>ほど消化に悪い、反エコロジー的な料理が、ほかいあるだろうか? 日陰でさえ40度になる、土曜日、全ブラジルは、その名で呼ばれる鍋いっぱいの豆と豚をがつがつとむさぼる。香気を欠いたカスレ(煮込み料理)のようなそれに少しでも繊細な香りをあたえるのは、コウヴェという苦味のある濃い緑のキャベツのような野菜と輪切りにしたオレンジのつけあわせだけだ。<フェジョアーダ>の起源は民衆にある。それは主人たちが捨ててかえりみない耳や足や内臓といった部分を煮込んだ豆といっしょに食べることにした、奴隷たちによって作りだされた料理なのだ。米、豆、ファロファ(マンジョッカの粉)。この食物の三位一体から逃れることはできない。」(C・ヴァネック「ブラジル」1976年 管啓次郎訳)
       
週刊朝日百科「世界の食べ物 No.56 南アメリカ1」(1982年)の「ブラジルの料理」(執筆:宮崎サンパウロ大学教授)ではアフリカ黒人系料理であるバイーア料理「の中でも、一番広く知られ、好まれている料理」と書かれており、サンパウロの代表的フェイジョアーダ専門レストラン「ボリーニャ」のHPもこの通説を踏襲している。「フェイジョアーダは奴隷とともに生まれた。彼らは、当時家畜のエサとして使われていた黒インゲン豆を、農園主が食べなかった豚肉の部位といっしょに鍋で煮込んだ。センザーラ(奴隷小屋)から始まったフェイジョアーダはもっともブラジル的な国民食となり、今日では有名レストランでも食べられるようになったのである。」と。
    
ところが、である。この通説に疑問を投げかけるエスタド・デ・サンパウロ紙の記事(2001年5月25日付け)がでてから、この“常識”がかわりつつある。この記事のタイトルは「最もブラジル的な料理の高貴なルーツ」という皮肉っぽいもので、これによれば、「ブラジル料理文化の伝統において何ら根拠のない歴史的な情報ミスから、フェイジョアーダは植民地期から帝政期のあいだにセンザーラで誕生した、と信じられてきた。だが、この通説はまちがいだ。ポルトガル料理では豚の尻尾や耳も「捨てられていたお余り」ではなく、奴隷たちが食べていたのはトウモロコシやマンジョッカの粉が主体で豆はたまに食べられただけだ」となる。
       
この記事によると南欧起源説をはじめて唱えたのは作家ギリェルメ・フィゲイレードの著書「我が愛する食べ物」(1964)だそうだが、この分野の文献としては最良のものと思われる碩学カスクードの名著「ブラジル食文化の歴史」(上下二巻、初版1967年)を詳読してみよう。20ページ以上あるアフリカ食文化の章ではひと言もフェイジョアーダに言及しておらず、下巻のフェイジョアーダの章では21ページも国民食に関する知見を披露しているが黒人奴隷との関係には一切ふれていない。彼はフランス料理のカスレあたりがルーツだろうと南欧起源説を示唆している。カスレは南仏の地方料理で、鴨ないし豚・羊肉を白インゲン豆と煮込んだシチューであり、形状がフィジョアーダと似ているだけでなく土鍋に入れて供するのも同様だ。イタリア、スペイン、ポルトガルにも同じ様な豆料理(cozido,cocido,fabadaなど)があるので、ポルトガル人が持ち込んだ料理がブラジルにある食材を活用しアレンジされて、フェイジョアーダとなったのだろうとの推論だ。またカスクードによれば、リオデジャネイロの一般レストランでフェイジョアーダが供されるようになったのは19世紀末から20世紀初頭にかけてであり、その歴史は意外と短いのだ。
        
この記事で引用されている二人の専門家の意見ものぞいておこう。1998年に発表されたリオ国立文書館学芸員カルロス・A・ジタージの論文では、「フェイジョアーダの起源に関する通説は、ブラジルの奴隷制の有する社会的・文化的諸関係をロマンたっぷりの小説の如く甘くとらえた時に生まれた、現代の伝説でしかない」と通説を一刀両断している。さらにサンパウロ大学のガブリエル・ボラッフィ教授の「食事物語」(2000年)には、「大農場では数十人から数百人の奴隷がいたはずだ。一匹の豚からは耳二つ、足四本、鼻一つ、尻尾一つしかとれないのだから、そんなに多くの奴隷に食べさせるためには一体どれだけの腿肉やロインを農園主が食わねばならないか想像してみよ。」(同書P.528-529)とより辛辣なコメントが書かれている。
       
ブラジルの国是である人種デモクラシーの神話形成とこのフェイジョアーダ伝説は、密接な関係があると筆者は推測するのだが、この辺は今後の宿題としておきたい。ブラジル社会論の古典といえるジルベルト・フレイレ「大邸宅と奴隷小屋」の第5章「ブラジル人の性生活と家族生活における黒人奴隷(続)」には、「塩乾肉、豚の頭、腸詰、さらに多くのアフリカ伝来の調味料を使ったフェイジョアーダはありふれた料理である。」と書かれているが、このあたりが伝説発祥の震源地かもしれない。確かにボラッフィ教授が指摘しているごとく、19世紀のブラジルを訪問・視察した博物学者や旅行記作者たちの記録のなかにフェイジョアーダについての記載ないし言及が見当たらない。南欧起源のフェイジョアーダが主人の近くで働く家内奴隷にまず受容され、都市部の奴隷層や労働者層にも広まっていったのではないか、と筆者は推測するものだが、今後歴史学者や社会学者によって様々な「フェイジョアーダ研究」が進むことを期待しょう。とまれ、フェイジョアーダ起源“論争”は奥深くて面白い。
        
ところで、レストラン・ボリーニャのホームページもいつの間にか変わっていた。今日ものはこうだ。「これまで広く信じられてきた通説とは異なり、フェイジョアーダのレシピは黒人奴隷たちの発明ではなく、カスレやコジードないしカルデイラーダのようなヨーロッパ料理から派生したものです。(中略)当レストランのフェイジョアーダは生粋にして本物であり、純粋にブラジル的な味となっております。56年にわたる質と伝統の味をお試しあれ」。
        
56年間フェイジョアーダ作りで儲けてきたしたたか者は、商売上手なだけでなく変わり身の術にも長けているようだ。

         

[(社)日本ブラジル中央協会 発行 会員向け隔月誌
『ブラジル特報』 2003年7月号掲載のものを一部加筆修正]



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