最近のブラジル映画と文学について

岸和田 仁(ニチレイ 元ブラジル駐在員)


     
今、ブラジル映画が面白い。テーマもストーリーもブラジル的に多様化し、子供向けから宗教もの、ドキュメンタリー、ロマンスものやらテレビ連続ドラマの映画版やら、口うるさい玄人・批評筋にも一般観衆にも評価される作品が目白押し状態だ。質的な向上があれば興業面でも数字が伸長するものだが、10年前には想像だに出来なかったことが正夢となっている。総合週刊誌ヴェージャ03年12月13日号によれば、ブラジル国産映画の観客数は2002年の730万人から03年には2200万人へと急増した。ブラジル最大の刑務所における人間模様・人権弾圧を描いたヘクトール・バベンコ監督の『カランジル』がメガ・ヒットし470万人が映画館へ足を運び、前年の話題作『シティー・オブ・ゴッド』(340万人)を大きく上回ったが、これは一例に過ぎない。
   
60年代半ばから70年代にかけて世界へインパクトを与えた、ブラジル版ヌーベル・バーグともいえるシネマ・ノーヴォ運動にいささか興奮した世代の最後の方に属する筆者には、90年代前半のブラジル映画界を襲った極端な不振の記憶がまだ消えておらず、「ブラジル映画ルネサンス」といわれる勢いが幻想ではないかと思えてしまうほどだ。
  
94年のオーディオヴィジュアル法の成立を契機に映画産業への投資が活発化し、例えばイタリア移民入植地での恋愛模様を描いた『愛の四重奏』(1996)、都市ゲリラによる米国大使誘拐事件を扱ったブルーノ・バレット監督の『クアトロ・ディアス』(1997)、バイーア内陸部における千年王国運動の悲劇的結末をテーマとしたセルジオ・レゼンデ監督の『カヌードス戦争』(1997)などの佳作が制作されたが、日本でも公開され多くの人々の涙腺を刺激したロード・ムービー『セントラル・ステーション』(1998)の国内外での評価(特にベルリン映画祭での受賞)がこの「映画ルネサンス」の実在を決定付けたといえよう。
      
リオ郊外のファヴェーラにおける少年ギャング団間の抗争をリアルすぎるほどに映像化した『シティー・オブ・ゴッド』が話題となったのは、ブラジルでは昨年、日本では今年であったが、現在公開中の『私の小さな楽園』はノルデスチ内陸部で三人のダンナと同じ屋根の下で暮らした肝っ玉女性のお話で、実話に基づくヒューマン御伽噺。年末にかけて公開される『モロ・ノ・ブラジル』はフィンランド人ミカ・カウリスマキ監督によるブラジル音楽のルーツ探しといえるドキュメンタリーだ。ノルデスチという経済的には貧しいが文化的にはとてつもなく豊かな地域へスポットライトをあてた映画の連打、しかも日本で見られるというのは興奮すべき事件であろう。
   
ノルデスチに延べ10年以上住んでいた筆者としては盆と正月が一緒に来た気分だが、もう1本ダントツのお薦め品がある。今年の東京国際映画祭コンペに出品されたカルロス・ディエゲス監督の『ゴッド・イズ・ブラジリアン』だ。人間の犯した罪が多すぎて疲れ果てた神様が休暇をとることになり、休暇中の代役を探すために地上の中でもブラジルに降り立ったのだが、なかなか候補者が見つからない。ノルデスチ沿岸地方から内陸部へ、そこからトカンチンスまで足を伸ばし、先住民の間で絶大な信用を勝ち得ている聖職者を見つけ出す。代役に選定し、やれやれと思ったら何と彼は神の存在を否定する無神論者であったとは。こんなストーリー自体面白いが、神様演じるアントニオ・ファグンデスの演技のうまさには舌を巻くばかりだし、案内人タオカ役のヴァグネル・モウラも如何にもブラジル庶民になりきっていて、とにかく笑ったり考えさせられるコメディー風ロード・ムービーである。ブラジル国内で170万人の観客数であったというから、来年あたり日本でも公開されると期待している。シネマ・ノーヴォの実践者でもあるベテラン監督と直接話す機会があったので、いろいろ聞いてみたが、「神になりたくてもなれない人間自身が生み出し、イメージした神を描くこと、すなわち"神の人間化"がこの映画のテーマであり、人間の不完全性へ讃歌を捧げた」とのことだ。「ブラジルとは何かを問い続けてきた」ディエゲス監督の、「問いに対する解答例の一つ」ともいえる。「僕は世界を常に考えている映画人だ。僕は君たちが土曜日の夜にヒマを潰すための映画をつくるのではない」と挑発する監督の実にブラジル的なエスプリとユーモアに満ちた、解答例である。
   
限られたスペースなので,文学関係の話題も二つほどメモしておこう。
    
一つは9月に発刊されてからベストセラーとなり、4ヶ月たった12月になってもフィクション部門で1位ないし2位をキープしている小説『ブタペスト』について。作者はシコ・ブアルケ、いうまでもなくMPB(ブラジルポップ音楽)の代表的ミュージシャンだ。彼の文才は既に実証済みで、今回の最新作は小説としては4作目だが、仕上りもストーリー性もこれまでの彼の小説の中で多分ベストだろう。筆者も入手して読了したが素直に推薦できる作品だ。
   
ストーリーを荒っぽく追いかけると、主人公ジョゼ・コスタの生業は何でも請負う文筆業、政治家や経済人のスピーチであれ論文や詩であれオーケーというゴーストライター稼業。妻ヴァンダ、一人息子ジョアキンジーニョとリオに住むが、トルコで開かれた国際会議に参加した帰路、ひょんなことからハンガリーの首都ブタペストに降り立つハメになる。そこで美しいクリスタと知り合い、ハンガリー語を教えてもらっているうちに深い関係となり、ブタペストでも仕事を請け負う生活へ。ブラジルとハンガリー、リオとブタペスト、ヴァンダとクリスタ、二つの国・都市と二人の女性を抱えた二重生活、そんなジョゼのモノローグはカフカを思い出させる文体だが、シコ流のユーモアと詩心が適度に加味されていて"読み心地"は悪くない。
   
移民の国ブラジルにとってはハンガリーも遠い国ではないが、この小説の編集者兼出版社社長(L・シュワルツ)がハンガリー系ユダヤ人二世であるというのも興味深いところであり、多層文化国ブラジルらしい話題提供作品ともいえる。音楽も文学もプロという才人は日本や欧米でも少なくないが、シコの文学世界は今後も発展していくのであろう。古典的名著『ブラジルのルーツ』(邦訳『真心と冒険』)でブラジルの国民性を明らかにし歴史学に革新をもたらした父親セルジオ・ブアルケに負けず劣らず、息子シコは音楽という地平だけでなく文学でも時代を画している。
    
もう一つは、作家ラケル・デ・ケイロスの死だ。19歳の時書き上げた『旱魃』はセアラ州内陸部におけるセッカ(旱魃)を描いたリアリズム文学の傑作であり、グラシリアーノ・ラモスやジョルジ・アマードらとともに「ノルデスチ文学」と呼ばれる社会派リアリズム文学運動を担った女流作家だった。98年9月に出版された自伝的エッセイ「過ぎ去りし年月」はブラジル現代史の生きた証言でもあると評判になったが、ブラジル文学アカデミーの女性会員第一号は90歳を過ぎてもエスタド・デ・サンパウロ紙のコラムを書きつづけていた。リオに住みながらも故郷セアラにこだわりつづけたケイロスが永遠の眠りについたのは11月4日であった。享年92歳。バイーアの庶民を主人公とするストーリー性豊かな小説を多数生み出した国民作家アマードが2001年8月、88歳で亡くなったので、今回のケイロスの死によって「ノルデスチ文学」の書き手は全員鬼籍に入ってしまった。まさに一つの時代が名実ともに終った。合掌。

    

(社)日本ブラジル中央協会発行 会員向け誌
『ブラジル特報』2004年1月号掲載】


     
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