京都でマラカトゥを学びながら−関西ブラジル音楽事情

  前田華奈(京都外国語大学ブラジル・ポルトガル語学科)


ズドーン、ズドーン、ドン・ズドーン、ズドーン、ドン。地面の底から湧き上が
るような、低い音と素朴なリズム。毎週水曜日の授業のあと、京都外国語大学
(以下外大)のキャンパスにはこの重低音が響きわたる。これは、私たちが今年
5月に立ち上げたマラカトゥ(Maracatuという、ブラジル伝統芸能のサークルが
練習中に出している音だ。

私は2003年度に、首都ブラジリアにあるブラジリア大学に1年間留学した。その
際に、外大から留学していたもう1人の同級生といっしょに、あるアカデミーで
偶然、マラカトゥのプレゼンテーションに出会った。その時のマラカトゥは、
「純粋」で、「伝統的」と呼べるようなものではなかったが、その力強い素朴な
リズムに、私たちは強い衝撃を受けた。そしてそのあと、マラカトゥの練習に通
うようになった。

留学中から、ぜひ日本でもマラカトゥを続けようと話し合い、たった2人で、グループを立ち上げた。現在、約10人のメンバーで活動する外大マラカトゥ・サークル、Macacos Livresの誕生である。日本で唯一のマラカトゥ・グループだと思う。今回
は、このマラカトゥのことと、マラカトゥを含めてブラジル文化普及を目指す私た
ちの活動を紹介したい

マラカトゥの話

皆さんはマラカトゥをご存知だろうか。その歴史など、詳しい資料は日本ではほ
とんど手に入らないと思う。そこで少し、その生まれなどについて話しておきたい。

マラカトゥはブラジル北東部のペルナンブーコ州レシーフェ市で生まれた。アフ
リカ起源のこの音楽には、マラカトゥ・ナサン(Maracatu N
ação)と、マラカトゥ・ルラウ(Maracatu Rural)の2種類ある。

まず、マラカトゥ・ナサンだが、私たちはこのマラカトゥをいま京都で練習して
いる。起源はアフリカ、
コンゴの王様を祝う祭である。レシーフェのカーニバルな
どでブロックを組んで歩く際、マラカトゥのアフリカ起源の特徴が顕著となる。
リズムをとる打楽器集団の前に、30人から50人くらいの人々が、コンゴの王様や女
王様、兵士、家来、召使いたちの仮装をして歩くのである。当然、その衣装は、植
民地時代のポルトガル王室など、ヨーロッパ貴族の衣装の影響を強く受けている。
このようなスタイルが17世紀には完成されていたという記録が、レシーフェやオリ
ンダの教会に残っている。

1851年のレシーフェの新聞に、「町が通りごとにいくつかのグループにわかれ、
行列ができた。どのグループも1番前の大きな傘や天蓋の下には王様の仮装をした
人がいて......」という記事が載った。どうやら、この大きな傘や天蓋が、黒人の
王族の宮殿をあらわしているらしい。このような祭りや音楽、行列が、その後アフ
ロ・カトリック宗教の音楽と混ざり合い、現在のマラカトゥ・ナサンになったよう
である。そのため、ブラジル・フォルクローレの辞典などを見ると、マラカトゥは「音楽」ではなく、「芸能」の章に収まっている。

20世紀初頭に、ペルナンブーコ州でサトウキビ栽培をしていた内陸部地方に住む
人たちの娯楽として生まれたマラカトゥ・ルラウが、もう1つのマラカトゥだ。

これは、カボクロ(先住民と白人の混血)や先住民の影響を強く受けた、戦いの
踊りである。カボクロ・ヂ・ランサ(Caboclo de Lança)という実に派手で巨大な
帽子をかぶって踊るのである。マラカトゥ・ナサン
では使わない、トロンボーンや
サックスなどの金管楽器を使うことが特徴となっている。

ブラジル音楽の系譜

日本でブラジル音楽が広く普及するのは、1970年代後半から80年代にかけて、ブ
ラジル音楽のレコードが発売されたことに始まる。大学でラテン音楽のサークルが
作られ、学生たちはブラジル音楽のレコードを手本に、ジャンルを問わず練習した。

観光目的のブラジル渡航者が限られていた当時、日本に数カ所あったブラジル料
理レストランが情報交換の場となった。そうした場所に集うラテン音楽愛好者たち
が情報源となり、徐々にブラジル音楽を広めていった。日本中のブラジル音楽愛好
家たちが、1つに纏まっている時代であった。
ジャンルにとらわれず、ブラジルの
ものなら全てOK、ブラジルが好きな人なら全てウェルカム、という仲間意識の強い「輪」であったようだ。アマチュア志向の強い関西のグループ、プロを目指した関
東のグループと、傾向は少し違っていたものの、どちらも自分たちが楽しむことを
第一に考え、ブラジル音楽・文化の普及という面にはあまり重点を置かなかったよ
うに思われる。そのため、現在までその系譜は脈々と続いてはいるが、その「輪」
に加わっている人の絶対数は多くはない。

1990年代以降、2030代の人々が旅行や留学で、次々とブラジルに渡っている。
彼らは音楽に限らずカポエイラなど、様々なブラジルの文化を日本へ持ち帰り、そ
れぞれ活動を始めた。私たちもそのうちの1グループといえるが、この世代は皆、
自分たちの活動をブラジルとは今まで縁のなかった人々に向けて積極的に情報を発
信し始めている。

こうした展開が、日系ブラジル人労働者の急増と重なり、健康志向から1つのス
ポーツとして日本中に広まったカポエイラ、「癒し系」ブームに乗ったボサ・ノヴ
ァなどが新しい「ブラジルブーム」の代表格として広まりをみせている。

90年代の新しい展開の特徴は、ブラジルではあまりポピュラーではないようなブ
ラジル文化や音楽
に興味を持ち、日本に持ち帰っていることである。ブラジルが好
き、ブラジル音楽が好き、というより、ブラジルの「この音楽」、「あの文化」が
私は好きという一極集中型の嗜好といえる。そのため、
自分たちだけが感じとって
きた文化、それを追求する自分たちだけのグループで活動することが多くなってい
る。結果として、
11つのブラジルから持ち帰ってきた文化には精通していても、
他の文化にはあまり目を向けないという傾向が伺える。事実、
私たちのマラカトゥ・グループのメンバーのほとんどが、ブラジル音楽の他のグループの人に会ったことが
なかった。

このように、90年代以降のグループはそれぞれに細分化され、また、80年代以前
の流れからも切り離され、それまで
ブラジルについて様々な情報交換を行ってきた「輪」は薄まってきた。

ブラジル文化の普及を目指して

私たちマラカトゥ・サークル、Macacos Livresは、今年7月、外大のカポエイラ・
サークル Cordão de Ouro,京都在住の人々が中心として活動しているサンバチー
Ilha das Tartarugasに声をかけ、グループ・ナサン(Grupo Nação)という
「輪」を立ち上げた。最終的に、様々なブラジル文化に携わるグループの集合体を
目指している。それぞれが各サークルの活動を基盤としつつ、グループ・ナサンと
して、ブラジルのいろいろな文化を紹介するため様々な文化活動に参加したり、情
報交換の場を提供することを目的にしている。まだまだ小さな団体であるが、京都
を中心に文化的コミュニケーションの場の創造と、「最も遠い国を最も近くに」を
モットーに活動している。

浅いけれど広くブラジル音楽を楽しんでいた80年代以前に較べて、現在は、深い
けれども狭く、頑なに、ブラジル文化の特定のジャンルだけを楽しんでいる若者が
いる。この縦軸と横軸のバランスがもう少しうまくとれたら、ブラジルから遠く離
れた日本で、ブラジル文化をより多くの人が、より深く楽しむことができるのでは
ないだろうか。

またカポエイラ、サンバ、マラカトゥ、すべてが、「動きあり、楽器あり、歌あ
り」の総合芸術である。ジャンル間の交流によってそれぞれの音や動きに深みを増
すことも期待できる。

このグループ・ナサンの「輪」が、これからもっと成長し、日本全国に広がりを
持ったブラジル文化の相互交流と、「セクシーな女性が踊るリオのカーニバル」だ
けではない、豊かなブラジル文化理解の啓発に一役買えることを夢見ている。



【(社)日本ブラジル中央協会発行 会員向け隔月刊誌
『ブラジル特報』 2004年11月号 掲載】


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