三度目の正直を信じて ―日伯関係の再構築に向けて―

  鈴木 勝也(当協会理事長・元駐ブラジル大使・「日伯21世紀協議会」メンバー)


活かすべき貴重な遺産(過去2回の絆)

日本とブラジル両国が過去百年の間に、運命的な絆で強く結ばれた時期が二度あった。一度目の絆は移民であり、二度目の絆はブラジルの工業化支援という経済協力である。いずれの絆も有無相通じるという補完関係に裏打ちされた、極めて合理的なものであり、人種、文化、宗教等の近似性といった大衆的な絆とは無縁なものであった。逆に、合理性が失われた時には、失速しかねない脆弱性を内包した絆だったともいえる。

(1)移民

ブラジルが国際世論に屈して奴隷制廃止に踏み切ったのは1888年である。日本とブラジルが国交を樹立したのは1895年だが、当時両国間の直接の接触は極めて乏しかったにもかかわらず、日伯国交樹立を促進した合理性は、実はここにあったのである。

永らくコーヒー園の労働力をアフリカ奴隷に依存してきたブラジルは、奴隷に代わる労働力の供給先を探さねばならなくなった。他方、明治の近代化路線まっしぐらの日本は、人口の爆発的増加に直面し、移民の送り出し先を真剣に探していたのである。こうした双方のニーズに基づく補完関係こそが、一見無縁な日伯両国を急速に接近させ、国交樹立に至らせたといってもよい。

1908年の笠戸丸で始まった日本人のブラジルへの移民は、第二次世界大戦中は一時中断したが、その後再開され、1990年代初めまで続いた。今やブラジルには130万人とも150万人ともいわれる世界最大の海外日系人社会がある。筆者はブラジル大使として在勤中ブラジル26州のすべてを訪問したが、どの州でも立派に活躍している日系人がいて、現地社会の信頼と尊敬を得ていることに深い感銘を受けた。ブラジルの要人から「ジャポネス・ガランチード」(日本人は信頼出来る)という言葉を聞く度に、肩身の広い思いをしたものである。ちなみに、他のアジア人でこのような高い評価を得ている者はいない。

ブラジル各界で有名な日系人は枚挙に暇が無いが、北伯ベレーンを中心に一大チェーンを展開する流通小売業のイプシロン・ヤマダや、内陸部マット・グロッソを中心にブラジル屈指の綿花農場を経営するグルッポ・マエダ、ブラジル抽象画壇の重鎮たる故マナブ・マベ、故チカシ・フクシマや80歳を越えてなお創作意欲の衰えを見せないトミエ・オオタケ、女流映画監督のチズカ・ヤマザキ等は、比較的日本で知られていないだけに特筆に値する。もちろん、政界ではシゲアキ・ウエキ、アントニオ・ウエノ等、外交官ではエジムンド・フジタなどもいる。格闘技の世界で有名なグレイシー柔術の生みの親であるコンデ・コマこと前田光世講道館7段も忘れてはならない先人の一人である。毎年積雪を見る南伯の高地サン・ジョアキンには、日本種リンゴの「富士」を立派に作っている日系人もいる。

地球の反対側まで来て悪戦苦闘しながら、日本人の誇りを忘れることなく努力を重ね、現地の人たちの信頼と尊敬を勝ち得た先人たちに感謝せずにはいられない。ブラジルの日系人社会とその高い評価は、資源小国の日本が海外に持つ数少ない貴重な資源なのであり、移民の時代が終わったからとて、その風化を拱手傍観していてよい筈がない。

 
(2)経済協力

二度目の絆は、戦後の一時期に盛り上がった日伯経済協力関係である。日本経済の戦後復興が一応軌道に乗り、海外展開を考え始めた1950年代半ば、アジア・太平洋の近隣諸国ではまだ反日感情が強く、賠償問題もなお交渉中の状態だった。他方、ブラジルでは強力な近代化・工業化をめざすクビチェック政権が登場し、70年代のガイゼル政権まで工業化路線が鳴り物入りで押し進められた。海外展開を目論む日本と外国の資本・技術を導入して工業化を一挙に押し進めようと目論むブラジルは、補完関係という合理性の絆によって再び接近した。ウジミナスやツバロンの製鉄、カラジャスの鉄鉱山、セニブラの紙パルプ、アマゾン・アルミのアルミ製錬、イシブラスの造船といった一連の大型案件が閣議決定や了解を経た「ナショナル・プロジェクト」として次々に立ち上げられたこの時期は、日伯黄金時代として記憶されている。我が国の政官財界には塔uラキチ狽ニ称する熱血人士が多数輩出され、歴代首相もほとんど例外なくブラジルを訪問した。筆者は駐伯大使時代にこれらの「ナショナル・プロジェクト」のすべてを現地視察したが、シンガポール資本の手に渡ったリオデジャネイロのイシブラス造船所を除き、いずれもまずまずの業績のようで安心した。最近は、中国向け輸出が急増しているので、一層活況を呈しているものと思う。その後、1980年代に入ると日伯経済関係は急速に冷え込んだが、この黄金時代に我が国が残した足跡自体は、その後のブラジルの経済発展や内陸開発への多大な貢献として記憶されており、日本の資金力、技術力、経営スタイルへの高い評価も定着している。特にセラード開発は、リオデジャネイロからブラジリアへの連邦首都の移転とともに、かつて沿岸部中心だったブラジルの重心を内陸に向けて大きく動かした画期的事業との評価を与えられている。  

  
三度目の正直(新たな絆の構築に向けて)

昨2004年9月、小泉首相が、1996年の橋本首相以来8年ぶりに訪伯した。また、今年5月にはルーラ大統領が訪日した。こちらも1996年のカルドーゾ大統領以来9年ぶりであるが、トップの訪問には、それだけインパクトがある。何とか小泉・ルーラ相互訪問を契機に、日伯関係をジャンプ・スタートして、三度目の正直を現実のものとし、三回目の絆を構築できればと切に願っている。

しかし、日本もブラジルも今や大衆民主主義の中で活動しているから、かつての如く一握りのエリート達が考え出した合理性のみではものごとは動かない時代を迎えている。いまや日伯双方において大衆的理解と支持が不可欠なのである。他方、笠戸丸の昔と違い、移民や経済協力が造り出した良好なイメージという貴重なインフラを大いに活用出来る時代になっている。従来の如く合理性のみに立脚した絆ではなく、文化・スポーツ・社会にわたる幅広くかつ重層的な第三の絆を構築し得る環境が整いつつあるといってもよい。これに点火するのはマスコミであり、マスコミにしか出来ないことだと思う。それにしても、日本のマスコミに出るブラジル関係の話題は依然として実に少ない。今日の社会ではマスコミに出ないものは存在しないに等しいことを考えると、事態は深刻である。なぜブラジル関係のニュースがかくも少ないのか。一つの大きな理由は、現地特派員が手薄だからだと思う。ブラジルには昔からサンパウロとリオデジャネイロに分散する形で7社7名のマスコミ特派員が駐在している。しかし、彼らの守備範囲は広大な南米ないしラテンアメリカ全域だから、常にブラジルに居るわけではないし、ブラジルを継続的に見ているわけでもない。彼らが留守で記事を送らなかった事は、日本の読者からすれば、存在しなかったことに等しいのである。

各社それなりにバランスを考えての特派員配置だと思うが、欧州175名、米国170名、中国78名、東南アジア69名、韓国35名、中東32名、南西アジアと台湾各12名、講習と南米各7名、サハラ以南アフリカ5名という現在の特派員配置状況(外務省報道課資料)は、いったいどれだけ知られているのだろうか。そして、これを積極的に是とする者はどれだけいるのだろうか。本当に各社の営業政策に任せておいてよいのだろうか。国際情報にブラック・ホールを作り出し、特定の国や地域について国民を目隠し状態にしている責任は誰がとるのか。かつて「第四の権力」といわれたマスコミは、いまやどの先進国でも事実上「第一の権力」に昇格し、政治や外交をも左右する存在となっている。この事につきマスコミ人の責任と自覚を強く促したい。そして、大衆民主主義の下で、日伯関係をジャンプ・スタートさせるためにも、是非日本のマスコミのブラジル報道体制を抜本的に強化する必要があると痛感する次第である。
   


【(社)日本ブラジル中央協会発行 
会員向け隔月刊誌『ブラジル特報』2005年7月号掲載】

  


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