国際貿易交渉の中のFTAA
−ブラジルとアメリカの真っ向勝負

浜口伸明(神戸大学経済経営研究所助教授)


   
FTAAは形骸化したか
     
もともと米州自由貿易地域(FTAA.葡語・西語ではALCA)は北米自由貿易協定(NAFTA)の南進と見る向きがあった。とくに、いくつかの分野において開放されていないブラジル市場へのアクセスを開くことは、アメリカにとってFTAAを推進する動機の一つであった。大統領に貿易交渉権限を与えるTPA(通商推進権限.旧称ファーストトラック)が議会を通過した段階で、センシティブな農業分野は交渉事項としないことが国内的に合意され、アメリカの利益を守りながらラテンアメリカの市場を獲得するつもりであった。
          
おそらく、ブラジルはもっと柔軟に対応してくれるとアメリカ政府側は踏んでいたのであろうが、そうであれば大きな誤算であった。とりわけルーラ政権になってから、ブラジル外務省の交渉態度は強硬さを見せ始めた。2003年にカンクンで行われたWTOの閣僚会議では発展途上国20国グループ(G20)を率いて、先進国の農業保護政策を激しく批判し、同会議におけるドーハ・ラウンドの合意成立を断念させる主要な要因の一つとなったことはあまりにも有名である。
      
FTAA交渉においても、ブラジルがメルコスルを基盤にして南米に陣地を形成し始め、アメリカ主導のはずがいつのまにか、アメリカとブラジルの2極構造へと移っていった。ブラジルはアメリカの農業部門における補助金の撤廃を求め、それが認められない以上、自国の政府調達やサービス市場の開放、および現行の国際規定以上に先進国に有利な知的所有権の運用ルールの適用など、アメリカの要求を受け入れることはできないと、強く主張して水掛け論の議論が繰り返された。
        
FTAAは霧散霧消するかと思われたが、アメリカは2003年11月にマイアミで開催されたFTAA閣僚会議で、全体合意はすべての参加国が合意可能な範囲に限定して、それ以上の内容は加盟国間の自発的な2国間ないし部分地域的な追加的合意を結べばよいという折衷案で、ブラジルとの合意を図った。FTAAは実際上当初目標とした野心的なものからほど遠い形の、ライトなものになったといわれた。
      
その後、アメリカはこれをツートラック・アプローチと呼んで、国内で調整のつきそうにもない問題についてはWTOでの交渉に後回しにして、FTAAでは交渉事項としないことにし、個別にラテンアメリカ諸国と自由貿易協定を結ぶ方向に突き進んだ。例えば、すでに昨年6月にチリとの間で自由貿易協定(FTA)を調印し、すでに今年3月に実施されている。また、5月には中米5カ国(コスタリカ、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグア)およびドミニカ共和国ともFTAを締結した。また同月、コロンビア、ペルー、エクアドルとのFTA交渉を開始することを発表し、近くボリビアもこのグループに加わることを示唆した。ただし、FTAAの中で複雑な事情のある国々は対象から除外された。すでに対米関係が悪化していているチャベス政権下のベネズエラは、当面このアンデス・グループから除外されている。アルゼンチンは債務のデフォルトの問題を抱えている。そして、強硬な外交姿勢を見せるブラジルである。
   
メルコスルも外への広がりを見せた。昨年12月にベネズエラを含むアンデス共同体全体との自由貿易協定を締結し、メキシコのフォックス大統領は、今年7月のメルコスル・サミットに参加してメルコスルへの準加盟国申請を行うと表明している(現在の準加盟国はチリ、ボリビア、ペルー)。このようにアンデス諸国やメキシコがメルコスルとアメリカのどちらとも結びつきを強化している米州大陸の中で、メルコスルとアメリカだけが依然として遠い。
        
6月はじめになってアメリカは、すでにセンシティブな農産物について補助金を撤廃しないどころか、関税引き下げの対象からも外すと、通告してきたといわれている。この対象品目に何が含まれているか明らかにされていないが、ブラジルが関心をもつオレンジジュースや砂糖が含まれていると見られている。このようにツートラックの一本が強化される一方でもう一本の内容が次第に希薄になる可能性がある。
       
アメリカのゼーリック通商代表は、6月初めにAPEC(アジア太平洋経済協力)のサンチアゴ閣僚会議に出席した際に、チリ外相との記者会見で両国のFTAの成果を披露しながら、「チリが発行する国債のスプレッド(カントリーリスク)は0.9%ポイントで、かたやブラジルは7%ポイントだ。これは単にマクロ経済運営が良好というにとどまらず、外相が世界貿易のリーダーとして果たしている役割が評価されているためでもある。」と述べ、あからさまにブラジルの外交姿勢を批判して、FTAAやWTOの自由化交渉への障害であるように印象付けようとした。
      

ブラジルの戦略
      
FTAAはすでに形骸化し、ブラジルは取り残されているかのようにも見えるが、FTAAを国際的な貿易交渉の中で読み直してみると少し違った様子が見えてくる。実はブラジルの射程はすでにWTOに移っているのである。このところWTOの紛争解決パネルにおいて、ブラジルは続けてアメリカに対して勝利を収めた。4月末には、アメリカ政府がウルグアイ・ラウンドで定められた上限を超える綿花の輸出補助金を与えており、国際価格を引き下げてブラジルの綿花栽培農家の利益を侵害しているとしてブラジルが訴えていたWTOの紛争調停パネルにおいて、ブラジルを支持する裁定が下された。5月には、ジュースのパッカーが集中しているフロリダ州が、州内に輸入されるオレンジジュースに上乗せ関税を課しているのは不当だとするブラジル側の訴えに対して、フロリダ州が上乗せ関税を1トンあたり40ドルから13ドルに引き下げるという調停が実現した(なおも1トンあたり418ドルの高関税がかけられている)。これらは、大統領選挙前のブッシュ政権にとって頭の痛い問題に違いない。チリにおけるゼーリック通商代表の発言に見える苛立ちや、おそらくオレンジをFTAAの関税引き下げ対象品目から削除するという動きは、このような流れから見たほうが理解しやすい。EUは5月に、アメリカなどが同調するならば農産物輸出に対する補助金を撤廃する用意があると表明し、農業分野での交渉が進展する流れができつつある。WTOのスパチャイ事務局長は7月までに、農業分野について何らかの具体的進展が見られるよう、各国政府の歩み寄りを強く要求している。
        
このような情勢下で、ルーラ大統領は5月末に中国を訪問して、巨大な中国市場への足がかりを広げたあと、帰途メキシコのグラダラハラで開催されたラテンアメリカ・カリブとEU間サミットに立ち寄った。メルコスルとEUの自由貿易協定は、EU側がメルコスルの農産物に対して一定の輸入枠を設定して、メルコスル側もサービス貿易や政府調達に関して一部市場を開放することで、基本的な合意が成立しており、10月の条約締結をめどに、今後双方からの一層の市場拡大要請をすり合わせる交渉が続けられることになった。メキシコ政府高官はメルコスルとEUの間でブラジルがセンシティブとする分野の自由化が実現すれば、FTAA交渉に向かう姿勢にも柔軟性が出てくるのではないかという期待を表明している。しかし、当面はアメリカとの貿易交渉の進展の見通しが依然として不透明な中で、ブラジル政府は他の市場を広げることで保険を担保しながら、アメリカとはぎりぎりまで正攻法でぶつかる覚悟を読み取ることができよう。
       

    【(社)日本ブラジル中央協会発行 会員向け隔月刊誌
 『ブラジル特報』 2004年7月号 掲載】

        



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