在日ブラジル人就労者の帰国・起業支援の試み
-- MIF/IDBのイニシアティブ ―

岸本憲明(米州開発銀行IDB多数国間投資基金MIF次長)


本年4月、米州開発銀行(IDB)の年次総会が催された沖縄において、ブラジルの小規模・零細企業支援サービス機関(SEBRAE)とIDBとの間で、在日ブラジル人就労者を対象にその帰国・起業を支援する技術協力プロジェクトの調印が行なわれた。多数国間投資基金(MIF)が昨年来準備してきたもので、予算総額は310万ドル、MIFSEBRAEが無償資金を155万ドルずつ拠出する。実施期間は4年。MIFというのは、1992年にIDBのなかに設立された基金で、零細・小企業を中心として中南米・カリブ地域における民間セクター開発を促進することを目的とする。

問題意識
27万人ともいわれる在日ブラジル人の存在は日伯間の大きなテーマのひとつであるが、これが話題になるのは主として、日本国内での生活・就労・教育・医療環境等の問題にいかに対応するかという文脈においてである。絶対的規模の大きさ、年々強まる定住化の傾向などに鑑みればその重要性は改めて強調するまでもないが、一方で帰国して起業したいと考えているブラジル人が相当数いることも事実である。彼らを支援する制度の必要性についてこれまで必ずしも十分に認識されてきたとはいいがたい面があるが、最近は就労者の間からもそういう制度を求める声があがってきている。

ブラジル人が日本での就労を終えて帰国すると多くが日本で蓄えた貯蓄を元手に事業を始めるが、(被雇用者としてではなく)経営者としての物の考え方、ビジネス機会の見つけ方、市場調査の仕方、ビジネスプランの作り方、企業経営のノウハウなど、基本的な訓練を受ける機会がないままに帰国するため、大半は事業に失敗し、再び日本へ出かけるといった悪循環を繰り返しているのが実情である。ブラジルにおいて帰国者の起業は平均より閉業率が高いといわれている。起業訓練を受けていないこと、ブラジルの商慣習などに疎くなっていることが、唯一ではないとしても大きな要因である。そのため、せっかくの貯蓄が水泡に帰し、日本での就労経験で得た知識や技術もほとんど活かされることなく埋もれてしまう。これはブラジルにとって大きな経済的・社会的損失といわざるをえない。この問題を何とかしたいというのが本プロジェクトの出発点である。

近年、在日ブラジル人就労者の年間20億ドルを超える本国送金が注目されるようになり、ブラジルの銀行の市場参入が相次いでいる。この送金がブラジル社会を潤していることは事実であるが、一方で出稼ぎ者を送り出したブラジルの日系社会においては働き盛りの人口のかなりの部分が抜けてしまうことによる生産活動への負のインパクトは大きく、こうした人々が母国で定着して生産活動に携わることの重要性も看過してはならない。とはいえ、ブラジルより相対的に高い収入が得られる日本での滞在が長期化するのは個人のレベルではそれなりに合理的な行動選択である以上、帰還を促すには、定住するより帰国する方がより合理的な選択となるような環境なりインセンティブを用意することが必要である。本プロジェクトはそこへ向けてのささやかな試み、と位置付けている。

プロジェクト概要
SEBRAE "Projeto Dekassegui Empreendedor" と命名した本プロジェクトは、こうした観点から、帰国・起業の意思のあるブラジル人に対し、起業家として成功するための訓練・研修(企業経営の基本、ビジネスプランの書き方など)を、日本滞在中から、遠隔教育や教室形式などを交えて施し、さらに帰国後は新規事業の立上げ・成長にかかる支援を個別に行なうものである。

日本においてはこれからコーディネーターを選定し、その人物が国内での調整・相談・指導に当たる。また、オンラインでブラジルの最新のビジネス情報を定期的に提供する。

帰国後のトレーニングは、南マット・グロッソ、パラー、パラナ、サンパウロの4州において試験的に実施される。それぞれの州ではSEBRAEの州支部が地元のネットワーク(産業界、NGO、出稼ぎ経験者で帰国して起業に成功した人々など)と共同して帰国起業家の指導・支援に当たる。

明確な目標を持った人間は戦略的になるといわれる。その意味で、起業の意思を固めるタイミングは早ければ早いほどよい(帰国してからよりも滞日中、滞日中よりも離伯前)。日本での意識の持ち方や周りを観察する目も変わってくるであろうし、同じものを観ても意思を持った眼はそこにさまざまな事業のヒントを見てとるであろう。本プロジェクトでは、これから日本へ出稼ぎに行くブラジル人に(本プロジェクトの紹介を含む)事前のオリエンテーションを行なうことも想定されている。

期待される成果
ブラジル人はもともと国民性として起業精神あるいは自営志向の旺盛なことで知られ、日本国内でもブラジル人起業家の層は年々厚みを増してきている。もちろん、日本とブラジルを同列に論じることはできないし、金額的には起業に十分な貯蓄を蓄えても、いざ帰国となると不安を感じて逡巡する向きが多いと思われる。そういう潜在的起業家の決意を促すには、ビジネス機会を掴んでそれを実現する能力の涵養と彼らの挑戦を社会的に後押しする制度が必要になる。本プロジェクトは在日就労者のなかの志ある者を支援し、ブラジルにおける起業活動の促進に何らかの貢献を目論むものである。

そして、将来的には他の先進国で就労しているブラジル人の帰国・起業意欲を刺激する一つのモデルとなることも期待されている。

筆者がサンパウロで面談したA氏は、大学卒業後、将来起業家として独立する決意を固め、その資金稼ぎのため日本に行った。2年後、6万ドルの貯蓄を手に帰国、1998年に何人かの仲間と共同で製菓会社を起こし、今では80人余の従業員を抱え、年商3百万ドルを超えるまでに成長した。日本の工場で働きながら観察して会得したシステムを、自らの工場で応用実践している。A氏の場合は、最初から明確な目標を持っていたため、単純労働からもさまざまなことを学んだ例であるといえよう。本プロジェクトの目指すところは、トレーニングを通じてこのA氏のような起業家をブラジルでひとりでも多く送り出したいということ、それに尽きる。

結び
このプログラムは、ブラジル帰国後にいい会社に就職するためのトレーニングではなく、あくまでも自ら事業を始めたいという人への支援を目的とする。自らが「職を得る」のではなく、社会のために「職を創り出す」ことを念頭においている。

彼らのブラジルでの事業が軌道に乗れば雇用の拡大、経済の活性化につながる。したがって、本プロジェクトの経験を踏まえて拡充すれば、「新パートナーシップ構想」の下でのブラジルの国造りに向けた、さらに2008年の移民100周年に向けた日伯協力プログラムにもなりうる。ブラジル人就労者の日本国内での環境整備だけでなく、帰国・起業に対する支援の重要性が認知され、日伯双方の官民でのさまざまな取組みが始まることを期待する。その意味で5月末に予定されているルーラ大統領の来日は絶好の機会である。

出稼ぎの人たちの帰国・起業を支援するプログラムとしてベスト・プラクティスが存在するわけでなく、どういうモデルが最も有効なのか、MIFとしても類似案件の実績がないため、未だ模索中であり、本プロジェクトとて試作品の域を出ない。しかし、本件がとりあえずその第一歩を踏み出すことによって、一石を投じる役目を担うことができればと願っている。

【(社)日本ブラジル中央協会発行 
会員向け隔月刊誌『ブラジル特報』2005年5月号掲載】


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