土地なし農民運動とコミュニティ再生

田村 梨花 (上智大学 専任講師)


    
赤い帽子と赤い旗が印象に残るブラジルの社会運動の代表格、土地なし農民運動(Movimento dos Trabalhadores Rurais Sem Terra、以下MST)は、1984年に組織されたブラジルでも最大規模のNGOである。1988年憲法186条の「すべての土地は生産活動に利用されなければならない」を法的根拠に、農地として使用されていない土地を占拠し、土地を持たない人々に分配する活動を続けている。2006年、ヴェネズエラのカラカスで第6回大会が開催された世界社会フォーラムのブラジル事務局で中心的役割を担う国際的ネットワークを持つ組織でもある。2003年には、フランスに本部のある社会運動系NGOアタック・ジャパン(ATTAC JAPAN)や日本ラテンアメリカネットワーク、アジア太平洋資料センターなど7団体の招聘で活動代表者が来日している。

MST設立の背景には、大土地所有制による土地の不平等分配という歴史的要因がある。奴隷解放後から抜本的な農地改革が行なわれていないため、1998年の国立植民農地改革院(以下INCRA)の統計によれば、農業従事者全体に占める割合が1%未満の2000ヘクタール以上の農園主が土地の約43%を所有している状態にある。その一方で、100ヘクタール以下の土地所有者(全体の約85%を占める)の所有土地は約17%に過ぎない。そうした現実が20世紀のブラジル各地での土地を求める運動を引き起こしてきた。

1950年代に出現した農民連盟(as Ligas Camponesas)は1964年の軍事政権により弱体化したが、ブラジル司教会議(CNBB)により結成された土地司牧委員会(Comissao Pastoral da Terra: CPT)の協力により、土地を持たない人々による農地を求める運動は継続された。80年代、政治開放への移行期、パラナ州カスカヴェルにて初の土地なし農民集会が決起され、「(農業)労働者の法的手段としての占拠」を合言葉にMSTは結成された(1984年)。翌年、「(土地)占拠は唯一の手段」というスローガンのもと、同州クリチバにおいて第一回土地なし農民全国会議が開催された。MSTは、「生産的に利用されていない」土地を農地として有効に利用する試みは合法であるとして活動している(したがって原則的に農地の占拠は行なわない)。占拠した土地に関する法的手続きはINCRAと土地所有者間で行なわれることを見据えた上で、「人々の権利の履行」としての活動を行なっているのである。

当局が土地改革にまったく着手していない訳ではない。1964年には軍事政権下で土地法(Estatuto da Terra)が制定されている。1971年にはINCRAが設置され、土地の再分配政策とその成果に関する情報は毎年公表されている。しかし、政府による土地改革は牧畜や輸出作物の大規模機械化農業の導入を円滑化はしたが、小農民や土地を持たない人々に対する分配が優先ではなかった。1985年サルネイ大統領政権下で提出された全国農地改革計画(PNRA)では140万人の入植を目標としていたが、5年後の政権終了時にその実績は9万人に過ぎなかったと指摘されることもあり、計画と現実との乖離が問題とされる。1985年には、MSTへの対抗勢力として地主が中心となり農村民主連合(Uniao Democratica Ruralista - UDR)を結成し、MSTの占拠活動に対する武力衝突も頻繁に起こっている。

2006年2月、23州に活動支部を持ち、運動参加者数約160万人を有する団体であるMSTは、その活動目的を「農村の貧困者の組織化を進め、自らの権利に対する意識を高め、変革のために動かすこと」としている。設立当初の目的であった土地の占有と獲得は、土地を持たない人々が自分の生への権利を取り戻すための一つの手段であり、運動の目標は不平等な社会を変革することにある。その思想の根底にはブラジルの教育思想家パウロ・フレイレの意識化があり、MSTのコミュニティではフレイレの教育方式を実践する学校が作られている。設立後20数年を迎え、MSTはラテンアメリカでも最大級の社会運動として成長してきた。先述の世界社会フォーラム、インドネシアに本部のある国際NGO農民の道(La Via Campesina)等と密接な関係にあり、7カ国に支持団体を有している。

MSTの組織は大別すると、(1)生産、協力および環境、(2)人権、(3)教育、(4)ジェンダー、(5)保健衛生、(6)文化の各セクターに分けられる。土地占拠活動分野は生産セクターであり、手に入れた土地をいかに生産的なものとして利用するかという方針で活動が行なわれている。単なる生産力向上ではなく、土地再生をコミュニティ再生として認識し、コミュニティの組織化、構成員間の協力、そして環境問題を重要視している。化学肥料、農薬を使わない有機農法の導入はその顕著な例である。

法的根拠をもちながらも、広大な土地を一夜にして黒いビニールテントで覆い尽くして占拠する急進的な活動は、「不法侵入」「破壊活動」とメディアで批判的に報道されることも多い。UDRや当局との武力衝突も少なくない。1996年4月17日にはパラ州エルドラド・ドス・カラジャスでMST活動家が19人殺害される事件が起こった。2003年、土地に関する抗争は1960件、被害者は1,266人(うち殺人は73人)であり、日々の衝突の現状は今も変わることなく繰り返され、主要紙にも常に掲載されるほどである。

労働者党(PT)出身のルーラ大統領が、MSTに対し強靭な態度を取れないのは周知の事実である。PTはMSTを重要な支援母体として政治活動を行なってきた政党である。成果の出ない農地改革計画に象徴される、急進派の期待を裏切る穏健的政治姿勢のルーラ政権に対しMSTの中からは非難も多いが、土地占拠の現場では「ルーラ以外の政治家では、現状はより悪化する」という声も聞かれる。そのような状況下で迎える大統領選挙の年となる2006年に、MSTと政府との関係のラディカルな変化は望めず、おそらく膠着状態は続く。各地における土地占拠活動も引き続き行なわれるだろう。

最近のMSTの活動の中で特筆すべきは遺伝子組み換え作物栽培禁止への行動である。正規の農場であっても、土壌を汚染する作物を栽培していると判断された農地は占拠される。「多国籍企業からブラジルの土地を守る」というのがその理由である。2005年可決の生物安全法(Lei de Biossegranca)によりモンサント社をはじめとする多国籍企業が急速にブラジルの農地に進出する現状に対し、MSTは今後も強固な姿勢をとることと思われる。

土地の公正な利用を目指し、反グローバル化的倫理観に基づいた社会運動を展開すると同時に、MSTは民衆教育に力を入れてもいる。2005年にはサンパウロ州ガラレーマに高等教育機関フロレスタン・フェルナンデス国立学校(Escola Nacional Florestan Fernandes)を設立し、年間約1200人の学生を受け入れている。大手メディアではMSTの暴力行為や強制占拠の面が注目され、農業訓練学校や有機農法の導入という地道な活動はあまり紹介されない。これだけ大規模に発展したMSTの組織の中には、単なる土地転売組織に終わっているケースもあるかも知れない。しかし、MSTに参加している人々を含めた地域社会が、土地利用について真摯に熟考し、人々、そしてコミュニティのニーズをより詳細に把握し、彼らの生活水準の向上と持続的な環境の開発のために適切な農業技術が導入されれば、地域社会単位での農地改革―農地としての土地利用の抜本的な改革―は可能となる。MSTによるコミュニティ再生のプロセスの更なる解明が期待される。 (参考:土地なし農民運動ホームページ(ポルトガル語)http://www.mst.org


                     
(レシーフェ郊外のMSTキャンプ地 2001年筆者撮影)
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【(社)日本ブラジル中央協会発行 
会員向け隔月刊誌『ブラジル特報』2006年5月号掲載】

  



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