ブラジル史上初めての本格左派政権

  筒井茂樹(日伯農業開発:CAMPO 副社長)


   
1964年3月31日、左傾化を強めたゴラール政権が軍のクーデーターにより崩壊して、今年で40周年を迎えた。その間軍政は85年の民政移管まで21年間続いた。軍政時代も形だけの議会制度があり、与党ARENAと野党MDBの2大政党も存在したが、軍事政権の傀儡政党に過ぎなかった。言論の自由と民主政治が復活し、本格的な議会政治が始まったのは85年の民政移管後である。ブラジルの民政移管が世界のどの国よりもスムースに行なわれたのは軍政時代の与党と野党が民政議会の受け皿となったからである。その後ARENAは民政移管後PPB(現在のPP)とPFLに分裂し、中道右派となり、MDBはPMDBとPSDBに分裂し、中道左派となり、民政後の与党としてブラジルの政治の中核を担って来た。また、これらの政党の有力議員は国内にとどまり、軍政に迎合して来た人、軍政を嫌い国外に亡命していた人との差はあるが、何れも政治のプロ達である。民政移管後の歴代大統領もアラゴアス州の小さな政党出身のコーロル大統領以外は全て軍政時代の2大政党の血を引く政党出身者であった。また、彼らは政党間に若干の濃淡はあるが、軍政時代国外に亡命していた議員も含め社会の体制保守派であり、利益誘導型政治家である。
   
しかし、昨年1月誕生したルーラ政権 は、ルーラの生い立ちもPT党設立の背景も上記既存政党とは全く異質である。ルーラ大統領は6才から働き、その後サンパウロの自動車産業地帯の金属労連を組織化し、労働組合の指導者として名を上げた。またPTは軍政下で非合法とされた労働組合活動を政治的に支援することを目的に、まだ軍政下にあった1980年2月、サンパウロのサンベルナルドの金属労連の委員長だったルーラが初代党主として旗上げした新しい政党であり、81年12月に政党として選挙最高裁判所に申請した時の発起人17人はすべて労働組合活動家か組合活動の指導者であり、政治家は1人もいなかった。
      
以後、軍政の強い圧力と弾圧の下ルーラをはじめ党幹部は入出獄をくり返し、1985年の民政移管後初めて自由な政治活動を開始した。それから18年後PTは政権を奪取した。本来保守的で大きな『変化』を望まない国民が不安を抱きながらも『変化』を求め、ルーラに一票を投じたからである。
       
そのルーラ政権が発足して1年半が経過しようとしている。ルーラ政権の第1年目の評価は、課題は残るも及第点であった。ルーラの大統領当選が確実になった当初は、ラジカルな社会経済政策を恐れ、外資が逃避したため、為替の大幅下落、インフレ再燃、カントリー・リスクの上昇、国債の下落を招き、ルーラ政権の行方が心配されたが、予想に反し、前政権以上に堅実な経済運営により国際金融機関、投資家の信頼が回復し、ブラジルのマクロ経済は前政権以上に安定した。何よりも前政権が8年間取り組んで成功しなかった税制改革と年金改革に成功した事の意義は大きい。特に年金改革は歴史的な改革で、ブラジル経済の最大の脆弱点である慢性的な財政赤字の将来の改善を約束するものであり、その結果、国の内外投資家のブラジル経済への信頼が増大し、世界の直接投資が増大すれば、貿易収支の大幅黒字とともにもうひとつの脆弱点である外資依存の経済構造の改善も期待出来る。両改革はブラジル史上初めて、ブラジル社会の底辺に光を当て、社会の不公平是正に取り組んでいるルーラ政権だからこそ達成出来たといえる。
     
一方、ルーラは大統領選挙中、前政権の過度のインフレ沈静化政策(特に高金利政策)による副作用として国民の不満が限度にあった社会問題の悪化を激しく非難してきたが、ルーラ政権の1年目は前政権のインフレ最優先政策を踏襲したため、社会問題は前政権以上に悪化した。
      
ルーラ政権の政権初年度は、前政権の『負の遺産』を引き継いだため、ある程度社会問題を先送りにしてもマクロ経済の立て直しを優先せざるを得なかった。しかし、2年目は公約どおり社会問題の解決に取り組むといい続け、半年が経過しようとしているが、問題の解決は遅々として進んでいないことに国民の不満と苛立ちは大きい。その上2年目を迎え、与野党間の蜜月時代が終り、そこに降って湧いた様に顕在化したのが、ビンゴ・ゲームの許認可権をめぐる官房長官の側近の汚職疑惑である。PTは汚職馴れしていないため対応が後手に廻り、クリーンが売り物で高い人気を維持して来た政権だけに国民から大きな失望を買い、人気も大幅に低下したが、ルーラ大統領個人の人気は依然として高い。
   
以下PT政権の課題を列挙する。

   
(1)PTはもともと利害の違ういろいろな労働組合、各種団体の寄り合い所帯である。したがって支持母体別の縦割り社会で、横の関係が稀薄であるのがPTの特徴であった。このバラバラの党を束ねて政権担当党にまでしたのはルーラのリーダー・シップとカリスマ性である。
   
選挙に勝ったのはPTではなくルーラである。このPTの性格が政権にそのまま反映され、各省の縄張り意識が強く、政権としての綜合力がないため、実務レベル(特に各省間にまたがる案件)では遅々として何も進まず、最後はルーラの決裁を仰がないと何も決まらないという批判が強い。愛知万博の参加問題も、日本側の働きかけに“Deixe Comigo”『私に任せろ』といい、誰もイニシアティブを取らず時間切れで不参加となった。

   
(2)一部民間から登用した有能なテクノクラート(特に経済部門)を除き、多くの省では今までまったく行政とは関係のない分野で働いていたPTの党人を、急に 大臣、局長、課長に登用したため、経験不足からどこから手を付けてよいか分らず、誰も決断せず放置されている案件が山積している。国民からも『改革は口だけ。PTは何もしていない』という批判が強まっている。
  
最後にルーラ外交であるが、間違いなくルーラ政権になってから世界におけるブラジルのプレゼンスは高まってきた。とくにBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)は、世界の成長センターとして大きな注目を集めている。ルーラ大統領は昨年1年間でアジアを除く世界の27ヶ国を訪問した。また今年1月インドを訪問し、5月には中国を訪問した。
   
ルーラ外交の特徴は、2005年のFTAAを睨んだ対中南米外交(特にメルコスル加盟国)、WTOでの先進国との不平等貿易の是正を狙った発展途上中進国とG20を結成し、中核的な役割を果すための積極外交である。また人口が多く、国土が広いロシア、インド、中国とG4を結成し、BRICsと呼ばれる特別な関係を構築し、また将来の発展途上国の代表として国連常任理事国入りを目指し、中近東、アフリカとの関係強化を図っている。特に5月22〜27日の間、7閣僚、580人の企業家を引き連れ、中国を訪問したが、新聞、テレビは連日中国との大型プロジェクトと商談を報じた。ルーラが世界の主要国で訪問していないのは日本だけであり、中国ブームの影に隠れ、日本の存在がブラジルでますます薄くなっていると感じているのは筆者だけではあるまい。日伯関係強化のための再構築は、官民挙げて急務である。

   
ルーラ外交で最大の不安材料は、ブラジル国民の反米感情を煽るがごとくわざわざリビアのカダフィーと会い、米国のイラク侵攻に抗議する共同コミュニケを発表したり、シリア、レバノンでも、ほぼ同じ様な共同コミュニケを発表した。またキューバのカストロ、ベネズエラのチャベスはいずれも濃淡はあるも反米を標榜する大統領で知られているが、ルーラは彼等とも頻繁に会い、連帯感をアピールしている。

    
また最近米国がテロ対策の一環として取った入国管理の強化に対抗し、米国人のブラジルへの入国管理を強化したり、ニューヨーク・タイムズ紙の記者がルーラは『飲み助』と書いた記事を理由に、記者の入国ビザの発給を停止し、米伯関係の悪化を招くなど、ブラジルの国益を考える時、ルーラはもっと米国外交に慎重であるべきだという意見が有識者の間に多い。しかし、大半の国民は世界の超大国である米国をルーラが非難すればするほど、人気が高まるという危険なゲーム展開となっている。
   
以上ルーラ政権には種々課題はあるが、マクロ経済の成功(外的要因に影響を受けにくい強い経済のファンダメンタルズ)と年金・税制両改革の成功により、インフレ再燃の可能性を低下させた。慎重は要するが、金利が低下すれば、持続的可能な経済成長路線に戻るのは決して夢ではなく、ルーラ政権の公約である社会問題も改善に向かうものと思われる。

    
最後に、一年目の成功と高い人気に慢心し、社会問題の解決を急ぐあまり、筆者が一番恐れる点、すなわちもうひとつのルーラの姿であるポピュリズムが出ないように祈っている。
(6月1日記)

   


【(社)日本ブラジル中央協会発行 会員向け隔月刊誌
『ブラジル特報』 2004年7月号 掲載】



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