カラジャス鉄鉱山開発黎明期
    

  鷲頭 三郎(元ブラジル日商岩井社長、(社)日本ブラジル中央協会理事)


     
私がブラジルとの係わり合いを持ち始めたのは1960年代の終わり頃からなので、かれこれ40年近いお付き合いとなります。ブラジル駐在(すべてリオ・デ・ジャネイロ)も4回に及び、通算約25年をリオで過ごしました。この期間のうち多くの部分を基本的に鉄鉱石関係の仕事とともに過ごしました。中でも開発着手から完成まで約15年を要したカラジャス鉄鉱山開発プロジェクトについては、そのほとんどを担当したことになり、非常に印象深い仕事の一つになっています。

カラジャス鉱山は1967年に発見され、1969年にはU.S.Steelのブラジル子会社(AMZA社)が一次探査を終了しています。私はその翌年の1970年6月、第一回目のブラジル駐在着任後直ぐに当社の鉱山技師とともに鉱山視察を行いました。日本人として最初の鉱山入りでした。その時は、それ以降30回にも及ぶカラジャス鉱山訪問の第一歩になるとは夢にも考えていませんでした。

当時は現地へのアクセスはベレンからの小型チャーター機しか無く、途中で無線が故障し赤道直下の積乱雲の中を、それこそ五里霧中で飛んだこともありました。また、当然のことながら、現在あるような立派なゲストハウスは無く、山小屋のような掘っ立て小屋に数名の鉱山技師が寝泊りしており、我々もその中にハンモックを吊って一緒に寝ました。

鉱山現場はアマゾン ジャングルの中の高台になっており、至るところに大小の湖沼があり、そこに無数のワニが生息していました。夕方薄暮の中を現場視察から帰ってくると、ジープのヘッドライトに照らし出されたワニの赤い目玉が辺り一面に現れ、その中をかき分けるようにして小屋に戻ったものでした。水シャワーを浴びた後、見上げた星空の深さと樹海を渡ってくる涼気の爽やかさ、そしてその中から聞こえるジェット機音にも似た吼え猿の鳴き声は終生忘れることの出来ないものです。
    

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カラジャス鉄鉱山 (リオドセ社 提供)
      

現在はカラジャスには、ジェット機が離着陸できる立派な飛行場があり、また最寄りの町であるマラバ経由、この地域の主要都市を結ぶ上等なアスファルト道路も出来ています。しかし当時は、このアマゾン ジャングルの真ん中にある鉱山へのアクセスは飛行機に頼るしかなく、すべての資機材・人間はベレンとの間を飛行機で輸送されていました。翼の中の燃料タンクに木の枝を突っ込んで燃料の有無を確かめ、離陸した直後に墜落した飛行機もありました。これはもう一方の翼の燃料を確かめなかったので、離陸時のエンジンスタートが空っぽの燃料タンクから回転し始めたため、燃料切れで墜落したというウソの様な話もありました。

その後開発が進むにつれ、日本の鉄鋼業界の関心も高まり、1973年4月には新日本製鉄の今井鉱石部長(当時−後に新日本製鉄会長・経団連会長)がカラジャス鉱山を訪問され私も同行しています。今井さんは、後年ある業界紙に寄せた記事の中で「ブラジル鉱開拓の思い出」と題し、次のように当時を回想されています。

"・・当時マスカレーニャス リオドセ社長に、カラジャス鉱山を見に来いといわれて出掛けた。ベレンから貨物機のDC-3型機で現地に飛んで驚いた。単体で180億トンの埋蔵量は全豪州の埋蔵量に匹敵する。これは是非やるべきと直感。その年の内に折衝して12月には長契を結んだ。然し直ぐ後に政変が発生し、社長が更迭されたため白紙に戻った。・・・鉄鉱石部長の間にブラジルへは前後20回位は出掛けている。・・・"

その後1973年来の第一次石油ショックによる世界的リセッションの影響を受け、1977年6月 U.S.Steel社は本プロジェクトからの撤退を決意。リオドセ社は合弁会社であった塔Aマゾン鉱山会社煤iAMZA社)のU.S.Steel社持ち株を5,100万ドルで買い受け、実質的に自社100%のプロジェクトとして開発を継続することを決めました。

引き続き、日本の製鉄会社はこのプロジェクトに大きな関心を持ち続け、依然として日本からのカラジャス鉱山訪問者は絶えず、私も相変わらず年に10回以上のペースで現地訪問を続けていました。そのうちに山元での宿泊設備も徐々に整備され、訪問者を記録するVisitors’ Bookもゲストハウスに備えられ、ある時そのVisitors’ Bookに刀E・・10年後再び此処に戻り、この壮大なプロジェクトの完成をこの目で確かめたい、云々狽ニ記述したところ、その拙文が現場を訪れたForbes誌の記者の目に留まり、後刻カラジャス鉱山開発関連記事の一部として、Forbes誌に掲載されたこともありました。

この時期より鉱山開発にともなう環境破壊が世界的な関心事となり、カラジャス鉱山開発がアマゾン熱帯雨林の保全に与える影響調査と称して、国連より環境査察官が鉱山開発現場に派遣されて来ました。たまたま私の現場訪問と時期を同じくし、鉄鉱石のバイヤーとしての立場から意見を求められたことがありました。その内容は別にして、この国連からの査察官が年のころは30歳前後、金髪、青い目の絶世の美女だったのです。アマゾンの奥深いジャングルの中でこのような美人に出会い、インタビューを受けるとはまったく想像も出来ないことでありました。

カラジャス訪問が重なるにつれ、現場の技術者とも親しくなり、夕食を一緒にしながらいろいろなことを語り合いました。彼らの話は面白く、アマゾンのインディオの結婚の風習として、花婿は結婚式の前夜、花嫁を喜ばすために大切なところをわざわざアマゾンの獰猛な蟻に噛み付かせ、赤く大きく腫れ上がらせて初夜に臨むという話もここで聞いたものです。このような陽気な彼らも、しかし日常の仕事はかなり危険と隣り合わせであり、ちょっと水を飲みに行くといってジャングルの中に入って行ったきり二度と戻らなかった仲間の話とか(これは一度通常のルートから逸れて密林の中に入り込むと日の光も届かず、方向感覚を失い同じ所を堂々巡りして死んでしまうもの)、あるいはオンサ(アマゾン豹)に襲われて命を落とした仲間の話も聞きました。


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カラジャス〜サンルイス鉄道(リオドセ社 提供)
     

カラジャス鉱山は、鉱山開発、鉄道建設(カラジャス〜サンルイス間約900キロ)および港湾建設(サンルイスのポンタ・ダ・マデイラ積み出し港)を併せ20世紀最大の鉄鉱山開発プロジェクトとして、世銀はじめ日本の輸出入銀行(現国際協力銀行 JBIC)等各国の制度金融を主体に、総額約36億ドルの巨費を投じて1985年に完成しました。日本とは1981年3月に基本売買協定を調印しています。現在カラジャス鉱山は、世界の重要な鉄鉱石供給源として、各国に鉄鉱石を送り出しています。

(カラジャス鉱山の2007年の予測生産量は約9,000万トン、うち日本向けは1,400万トンで日本の鉱石輸入量の約10%を占めています。)




【(社)日本ブラジル中央協会発行 会員向け隔月刊誌
   『ブラジル特報』 2007年11月号掲載】


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