リオのカーニバル〜Bateria参加体験記

  細島孝宏
(国際協力銀行元リオデジャネイロ駐在員)


          
「よし、ジャポネース。これから毎週練習に参加すれば何とかカーニバルに出場させてやろう!」。1995年に駐在員としてリオに赴任して間もなくの週末、ひょんなきっかけからEstacio de Saというサンバ学校を訪れ、飛び入りでBateria(打楽器部隊)の練習にCaixa de Guerra(スネアドラム)を持参して参加した折に、眼光鋭いMestre da Bateria(隊長)からかけられた言葉。これがその後本格的にBateriaの一員としてリオのカーニバルに4回出場するきっかけとなった。

私は、大学時代これまたひょんなきっかけからポルトガル語を専攻し、サークルも中南米研究会(もっぱらサンバ等中南米音楽が好きな学生の集まり)とラテンな学生生活を送った。サークルでは学園祭のみならず、地方興行、読売サッカークラブ応援、はたまた浅草サンバカーニバルと多忙なサンバ活動を繰り広げた。さらに1年間サンパウロへ留学した際には、当時3年連続優勝を果たしたVai Vaiというサンバ学校の Bateria でカーニバルに出場した。自他共に認める「ブラジル系日本人」である。

ということで駐在員時代に経験したリオのサンバ学校、特にBateriaについて、さらに「天覧サンバ」について若干ご紹介させていただく。

「天覧サンバ」

carnival04(1)500.jpg (19849 バイト)

一つのサンバ学校の規模は約4,000〜5,000人で、Bateriaは300人程度であるが、カーニバル本番では10ある採点項目のうち、Bateriaの演奏技術や調和が最も重要な項目とされる。それだけに練習や競争が厳しい。通常2月のカーニバルに向けて7月頃から週末練習が始まる。最初Bateria希望者は誰でも練習に参加できるが、除々にその人数が絞られていく。絞込みの基準は練習参加率と演奏技術である。演奏技術については各学校によってBateriaの叩き方が微妙に異なり、それをマスターすることから始まる。あとは練習の合間にMestreとアミーゴになり気に入られること…。11月頃カーニバルの曲が決定する前後にBateriaの最終選抜が行われる。競争率は1.5倍程度か。選抜の結果はMestreから「衣装の寸法を測れ」といわれることで判る。一度合格すれば、よほどのことがない限り毎年の参加がほぼ約束される。Mestreがサンバ学校を移れば、Bateriaのメンバーもたいてい同じ学校に移る。私の場合、最初に入ったEstacio de SaのMestreであるCicaに付いて、その後Unidos da Tijuca、Viradouroと学校を移した。Mestreは所属するサンバ学校から報酬、アパート、車が支給され、待遇に恵まれ、他の職を持つことは稀。有名なMestreは各学校から引く手あまたである。

サンバ学校の練習は、大抵週末の深夜からスタートする。最初はBateriaによるShowや過去のEnredoがウォーミングアップとして始まり、本番のEnredoが延々と明け方まで繰り返される。Bateriaには小休止の際ビールが配られる(Bateriaだけの特権)。Mestre Cicaは必ず演奏に一工夫するので有名。例えば一瞬曲の途中で全てのBateriaを止める、サビの部分でBateria全員座って演奏、楽器を持ち上げる…等々。毎年観客を魅了する一種のパフォーマンスである。本番2ヶ月前から平日の練習や、大通りを封鎖して本番さながらの練習が加えられ、テンションをピークにもっていく。
          
そして、カーニバル当日。出場予定時間の4時間前に集合。各自集中するため、楽器を調整したり、指にテーピングを巻いたりと、思い思いに緊張をほぐそうと必死だ。当然アルコールは控える。そして本番。会場入場時のBateriaの演奏(大抵過去の曲を演奏)に対する観客の声援で、おおよそ今年はいけそうかどうかが判る。そして定位置にBateriaが収まり、Puxadorが2コーラスを歌い上げたところで一気にBateriaが演奏をスタート。その時の感動は言葉で表現できないが、よくMestreは感極まって男泣きする。それにつられてBateriaの皆も、これまでの練習の苦しさと本番を無事スタートさせた喜びとが相まって熱いものがこみ上げてくる。80分間のパレードの間Bateriaは休む暇なく叩きっぱなしであるが、半ばトランス状態で勝手に手が動くのが不思議である。血豆や楽器が破れてもただひたすら叩く。血に染まった楽器はいわば勲章のようなもの。やはり観客側としても胸に響くBateriaが目の前を通過するときが最も盛り上がるのも無理はない。無事パレードが終わると、脱水症状と疲労と満足感でもう何も考えられない。仲間はしばしの別れを惜しんで異口同音にこう誓い合って会場を後にする。「また来年もこのMarques de SapucaiでBateriaを炸裂させよう!」

天皇・皇后両陛下が1997年6月にブラジルをご訪問された。リオにも立ち寄られるということで、日系団体を中心に歓迎式典を企画する中、やはりリオといえばカーニバルということで、式典の一環としてミニカーニバルを披露することとなった。当然私は取り纏め役となり、「サンバ係」として同年優勝チームであるViradouroのPresidenteと交渉し、Bateria、Puxador、Passistaを中心に40名程の特別チームを編成し、12分程度のミニカーニバルに備えた。たまたまViradouroのチームカラーが赤と白であったため、Porta Bandeiraには日章旗を握らせた。深紅の衣装に日の丸はみごとにマッチした。私はBateriaの一員としてミニカーニバルに参加、唯一の日本人として両陛下の目の前で演奏した。両陛下は激しいリズムと大音響にもかかわらず、終始にこやかに見守ってくださった。これがまさしく「天覧サンバ」なのか、と一人の日本人として感動した一こまであった。

carnival04(2)500.jpg (11371 バイト)

以上のとおりBateriaの経験を通じて得た財産は、多数のアミーゴの他に、@自分の職業や身分を明かさずに、皆平等に打ち溶け合える素晴らしさ、A練習は厳しく、本番は楽しくを実践できるブラジル人の底力ということに集約される。今でも毎日欠かさずサンバを聴きつつ、ブラジル人のように明るくリズム感をもって日々を送るよう心がけている。現在ブラジル向けの融資を担当しているが、交渉時等にサンバの話題から入ると妙に打ち解ける。ブラジルでは「JBIC(国際協力銀行)の細島」ではなく、「サンバの細島」と呼ばれている始末…。

また、将来駐在の機会に恵まれ、Bateriaとして再び Marques de Sapucai に立てる日を夢見て…。

                 
【(社)日本ブラジル中央協会発行 会員向け隔月刊誌
『ブラジル特報』2004年3月号掲載】



ホーム】【経済評論コーナー文化評論コーナー