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サンパウロから見たブラジル経済
   
         小島 高明


 

はじめに

 広大な国土と豊富な物的・人的資源に恵まれたブラジルが「将来の大国」と言われて久しいですが、現在既にGDP世界第10位であり、経済大国の仲問入りを果たしつつあると言えます。他方、ここ数十年、ブラジル経済及び日本とブラジルとの経済関係は大きく変動しており、それに伴い、日本におけるブラジルに対するイメージにも大きな振幅があるように見受けられます。

 当地サンパウロは、ブラジルのGDPの約40%を占め、ブラジル企業及ぴ日本企業を含む外国企業の殆どが拠点を持つブラジル経済の中心ですが、本稿ではサンパウロからの視点を軸にブラジル経済及び日・ブラジル経済関係の推移を概観します。
   

1.「奇跡のブラジル」から「失われた10年」ヘ

 第二次大戦後、ブラジルは戦前のコーヒー、サトウキビ等第一次産業中心の経済から脱却すべく輸入代替のための工業化政策を推進しました。ブラジルは1964年以降の軍事政権の下で国営企業を中核とする経済運営を行い、1970年代前半にかけて年率10%を超える径済成長を遂げて「奇跡のブラジル」と言われました。

 しかし、その後70年代における二度にわたる石油危機により高度成長は終焉し、深刻な不況に陥ると共に累積債務問題が発生して外資の流入が止まり、ハイパーインフレが慢性化しました。85年に民政に移行した後、インフレ抑制のためクルザード計画(86年)を実施し、物価・賃金・為替凍結を中心としたショック療法が打ち出されました。しかしながらその成果が挙がらず、貿易収支も赤字に転落、外貨準備高も86年末に45億ドルまで減少し、87年にいわゆる対外債務モラトリアムを一方的に宣言し、国際金融界における信用が失墜しました。このように混乱した80年代は「失われた10年」と呼ばれています。

   

2.開放型自由経済体制への転換とレアル計画

 90年大統領に就任したコロールは、経済の行き詰まりを打開すべく、それまでの封鎖経済体制を変革し、価格統制の撤廃等規制緩和、民営化、対外開放(輸入自由化、関税切り下げ)路線を打ち出し、開放型自由経済体制への転換を図りました。累積債務問題については、信用回復に向けて国際金融界との正常化交渉が91年以降開始されました。

他方、インフレ抑制については、90年、大統領就任と同時に発表されたコロール計画に基づき、金融資産の3分の2以上を封鎖することによる流動性圧縮というショック療法を実施しましたが、経済活動の一時的停止状況に直面して各種例外措置が導入された結果、インフレは再び昂進しました。91年、第2次コロール計画が発表され、物価・賃金凍結等のショック療法が再ぴ実施されましたが、不況は深刻化すると共にインフレも更に悪化し、93年には年率2,700%を超えるに至りました。

 93年12月、フランコ政権下において、カルドーゾ蔵相(当時。95年1月より大統領就任。)は、(イ)増税と財政支出大幅削減、緊急社会基金の創設等による財政赤字の解消、(ロ)為替切下げにリンクした新インデックス(URV)の導入、(ハ)URVから新通貨レアルヘの切り換えの3段階から構成されるレアル計画を発表しました。この計画の主眼は、財政赤字を解消して、ブラジル経済の体質となっている慣性インフレを新通貨導入により抜本的解決を図るというものでありました。また、それまでの一違のショック療法とは異なり、国民に対し新政策の実施前に説明をするという手法をとった上で、94年7月に新通貨レアルが導入されました。レアル計画の実施と共に、為替面では1レアル1ドルのリンク制、通貨発行限度の設定、預金準備率の引上げ、高金利政策等の一連の施策が実施され、その結果、インフレは、94年の930%から95年の22%と急激に沈静化しました。

 このように、レアル計画は、ブラジル経済の積年の弊害であった慣性インフレを抑制したという点で正に画期的成果を挙げたといえます。さらに、インフレの抑制が実現したことにより、国民の大半を占める低所得者層の購買力の増大による生活水準の改善が見られた結果、レアル計画は国民の幅広い支持を得ました。他方、レアル計画の結果としてのレアル高及ぴ高金利政策による財政債務及ぴ貿易赤字のいわゆる双子の赤字が増大しました。財政債務はカルドーゾ大統領就任後、97年末までに約2倍に膨らみ、高金利政策による金利負担増が極めて深刻な状況となりました。また、貿易収支については、高金利政策を挺子にしたレアル高により、レアル計画実施まで続いていた黒字が95年に赤字に転落し、その後赤字が増大しました。
  

3.ブラジル金融危機以降の経済情勢

 97年7月に生じたアジア危機については、ブラジルは金利引き上げと緊急財政措置による迅速な対応で一応は乗り切りましたが、98年8月のロシア危機については、従来ブラジルが抱えてきた財政収支及ぴ国際収支の双子赤字によるマクロ経済バランスの脆弱性に対する不安感と重なり、ブラジル金融市場では株価下落や外貨流出などの問題が深刻化しました。政府は高金利・財政引き締め政策で対応しましたが、99年1月6日のミナス・ジェライス州フランコ知事(前大統領)の対連邦政府債務モラトリアム宣言に端を発し、金融危機は深刻化しました。ブラジル政府は1月13日に従来の為替変動幅の上限を拡大変更し、一挙に実質約9%の切下げが実現しましたが、連日10億ドル以上の外貨の流出に直面し、結局、l月18日に変動為替相場制が導入されました。

 変動相場制移行及ぴ為替切下げの影響について、当初3〜4%のマイナス成長及ぴ30〜50%のインフレを招く恐れがあると懸念するのが当地の一般的な見方でしたが、IMF主導による410億ドルの融資等の支援が実施され、またブラジル政府の適切な財政・金融運営により、ブラジル経済は予想以上の回復を見せ、99年のGDPは0.82%のプラス成長を達成したほか、インフレも8.94%に留まりました。

2000年に入ってもかかる状況は継続しており、第1四半期でGDP前年度同期比3.08%成長、インフレ0.97%(年率換算3.88%)とほぼ目標値の範囲内で推移しています。また財政収支も改善を示し、99年には財政一次収支(注:金利分を除く収支)は黒字を達成しました。さらに、2000年4月、IMF等借入残高のうち103億ドルを期限前に繰り上げ返済しています。他方、貿易収支は99年も引き続き赤字基調を続け、為替切下げ後も期待されるほど改善されず、2000年に入り改善傾向はあるものの、外貨準備高はブラジル金融危機発生前のピークであった98年4月末の747億ドルから2000年3月末現在338億ドル台にまで落ちています。
  

4.外国資本の対ブラジル投資

 90年以降の民営化政策はその後実施に移され、鉄鋼、鉱業、石油化学、鉄道、通信等の分野では概ね完了し、その他の分野でも着々と進行しています。この民営化及ぴ各種規制緩和の下での企業の合併・吸収の活発化と並行して、特にレアル計画実施を契機に外国からの直接投資は、93年9億ドル、94年17億ドル、95年36億ドル、96年91億ドル、97年162億ドル、98年259億ドル、99年300億ドルと急激に増加しています。この急増した直接投資の主役は米国及ぴ欧州諸国ですが、その勢いはこの間のアジア危機、ロシア危機及ぴブラジル金融危機にも全く影響を受けていません。この背景には以下の要因があると考えられます。第一に91年以降ブラジル政府が対外債務問題で従来の対決姿勢を転換し、IMF他国際金融界との協調を通じてブラジルの国際的信用回復を果たしたこと。第二に対外的開放政策の下、外国企業に対する種々の規制が撤廃されたこと。第三にレアル計画の着実な実施によるインフレ抑制が実現したこと。第四にブラジルにおける投資収益が高いこと。
  

5.日本企業の対ブラジル投資

 60年代後半から70年代にかけて日本の高度成長及び「ブラジルの奇跡」を背景に日本企業はブラジルに積極的に進出しました。さらに、いわゆるナショナルプロジェクトとして紙パルプ、製鉄、アルミ、農業開発の分野で大プロジェクトが官民協調により実施されました。しかし、80年代以降、日本企業のブラジル投資への関心は顕著に低下しています。例えば当地日本商工会議所加盟の日本企業数は最盛期の80年以降大幅に減少しています。「エコノミスト」2000年2月21日号(鈴木駐ブラジル大使寄稿)で指摘されているとおり、欧米企業が極めて積極的にブラジルに進出しているのに対して、日本企業は対ブラジル投資ブームに完全に出遅れています。日本企業の停滞は顕著で、93年末には対ブラジル直接投資の第3位(累計べース)であったのが99年末には第8位まで低下しています。

 ブラジルにおいて日本企業が相対的に退潮傾向にある主因は、ブラジルの「失われた10年」である80年代に成長が著しいアジア向け投資にシフトしたこと及び90年代には日本経済自体がバブル崩壊後不況に陥り、特に、従来日本企業の海外進出をリードしてきた銀行及ぴ商社自体が、リストラを行い海外活動を縮小していることであると思われます。ブラジル市場には大規模投資が必要で、「小さく生んで大きく育てる」という日本企業の進出の仕方では成功し難いという見方や、言語・文化の差異、税制等法令及び法令執行基準の複雑さ等を指摘する向きもあります。さらに、隠れた要因として日本企業関係者、特に本社サイドに「モラトリアム後遣症」とでも言うべきプラジルに対する不信感が存在するのではないかと見られなくもありません。また、一般に日本企業、特に大企業は横並び意識が強く、海外事業においてもこの意識が反映されがちであると指摘されていますが、ブラジル投資における退潮傾向もこの意識が助長していると言えるかもしれません。

 しかし、日本企業の中でも、例えばホンダ、YKK、味の素、ヤクルトなどは、グローバルな企業戦略の中でブラジル(サンパウロ)を戦略拠点と位置づけ、積極的な事業展開を行っていると見受けられます。
  

6.今後の展望

 以上のとおり、ブラジル経済はカルドーゾ政権の下でインフレ抑制に成功を収めるとともに、開放型自由経済体制の下で、「持続的成長軌道に乗り始めた感があります(5月13日付当地ニッケイ新聞、田中信氏寄稿参照)。もちろん、不安材料が存在しないわけではありません。外資依存度が高い中で国際収支(貿易収支)が改善されていくのか、財政改革が実効を挙げるのか等の点もあります。最も懸念されているのは高止まりの矢業率(サンパウロ州は8.0%)、人口の10%が富の50%を所有する一方、国民の3分の1は貧困層という所得格差及びこれらを背景とするサンパウロ、リオデジャネイロ等大都市における治安の悪化という社会問題の深刻化がブラジルの持続的経済成長を阻害する可能性があるという点ではないかと思われます。

 しかしながら、民政移管当初ポピュリスト的な行政を行って混乱を招き、内外の信用を失った反省を経て、現在では現実的な民主主義が根づきつつあるとみられます。また、レアル計画以降の経済運営はインフレ抑制等により経済安定化をもたらすとともに、国際的信用の回復に成功しています。したがって、今後、政権交代等の政局変動の結果多少の路線の変更はあるにせよ、経済政策の機軸として開放型自由経済体制を維持する点については基本的に大きな振幅はないものと考えます。

 ブラジルの対外経済関係において、今後特に注目する必要があるのは95年に発足した南米南部共同市場(メルコスール)の動向ですが、その鍵を握るのは、いうまでもなくブラジルとアルゼンチン両国です。両国は、99年l月のレアル切下げ後、両国の間において自動車問題等の通商摩擦が深刻化しました。しかしながら、中長期的に見た場合、両国の諸分野での相互依存度が高いことに加え、WTOラウンド交渉あるいは米国及びEUとの通商交渉における立場強化を担うという政策目標を共有しており、徐々にメルコスール強化の方向に向かうものと考えます。

 日・ブラジル経済関係については、その強化に向けた新たな動きが生まれつつあります。99年9月に開催された第8回日伯経済合同委員会(ブラジル全国工業連盟と経団連共催)では「21世紀に向けたアライアンス」構築に向けて重要な課題を明確化した「アクションプラン」の作成が提唱され、本年ll月の第9回会合で具体的検討がなされることが見込まれています。今後、南米とアジアはグロバリゼーション経済の中、お互いの安定成長のために共に関係を強化し、新たなパートナー・シップを開拓するという観点からも、日本ブラジル両国はその架け橋として重要な役割を果たしうると考えます。両国はいろいろな面で相互補完的であり、経済交流を拡大するための十分な可能性が残されており、今後双方のいろいろなレベルでこの目的へ向けて積極的な取り組みを期待したいと思います。

(尚、本稿中の意見に係わる箇所は筆者の個人的見解です。)


    


(こじま・たかあき 駐サンパウロ日本国総領事)

『ラテン・アメリカ時報』 2000年8月号掲載 
(社)ラテン・アメリカ協会発行
 


           

 


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