ルーラ政権: メタモルフォーゼ(変身)の1年

       吉原多美江 (日商岩井鉄鉱石部コンサルタント)


2003年1月1日、カルドーゾ前大統領は政権交代の式典で、満面に笑みを浮かべながら、野党労働者党(PT)出身のルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ(通称「ルーラ」)新大統領の手を取りその腕を高く挙げた。知らない人が見れば、ルーラがカルドーゾ大統領の正当な承継者と見えたかも知れない。ところが、ルーラはカルドーゾ政権二期8年間を通して、同政権の政策にことごとく反対してきた野党PT(労働者党)からの候補であった。
   
ルーラは過去4回、大統領に立候補して3回落選した経歴を持つ。過去3回は、対外債務の支払い停止や国内債務のリスケ、物価統制、民営化反対を提唱し、銀行国営化の可能性にも触れ、レアル・プランへの反対、IMF協定の破棄、対外債務のモラトリアムなどを提唱する急進的な演説に終始して惜敗した。その教訓に学んだルーラは4度目の出馬に際して、PTに「過激な演説を維持して万年野党となりたいか、それとも政権が取りたいのか」の二者択一を迫り、政党連合の形成につき、白紙委任状を取り付けた。PT内に巣食う過激派(党員の3割近くを占める)の反対を押し切り、PL(リベラル党)のジョゼ・アレンカールを副大統領に招聘して、同党と連合を組み、「生産的資本(投機的金融資本と対照してそう呼ぶ)」との提携を提唱した。さらに、2002年6月、ルーラ当選の可能性が高まるにつれ、経済政策の転換を恐れる「ルーラ効果」で外資が逃避し、ドルレートやカントリー・リスクの上昇で動揺し始めた市場を沈静化するため、ルーラは「国民への公開状」を公表し、「外債のモラトリアムや国内債務のリスケはせず、既存契約を遵守すること、インフレ目標を維持すること、金利は急激に引き下げないこと」などを誓約した。こうしたルーラの演説の穏健化が本質的には保守的なブラジルの有権者を安心させるとともに、ルーラほどのカリスマ性のある対抗馬がいなかったことが幸いし、ルーラは決選投票で約5300万票(有効得票率で61.3%)を獲得して4度目の正直を達成した。
        
ルーラのこうした変身が本心からのものであるのか、当選のための方便に過ぎず、いったん、政権を取れば、化けの皮が剥される類のものか疑問に思う向きは多かった。しかし、この1年間のルーラ政権の動向を見ればこの疑問は払拭されよう。マクロ経済面での政策内容はカルドーゾ政権そしてその後継者であるセーラ候補が提唱していたものとほとんど変わらない。新政権は野党時代に執拗なまでに批判してきたカルドーゾ政権の金融財政政策を踏襲している。政権発足直後、IMFとのプライマリー財政黒字の目標値をGDP(国内総生産)の3.75%から4.25%に引き上げ、予算の一部を保留し、昨年来のドル高の影響で上昇し始めていたインフレを抑制するために、前政権からの高金利政策を6月まで続行した。さらに、4月にはカルドーゾ政権が遣り残した公共部門の年金制度改革案と、税制改革案を議会に送付した。各方面からの圧力により政府原案が大きく変更されはしたが、二つの構造改革案は年末までには議会を通過しそうな勢いである。これに加え、税収確保のため、野党時代には反対していた実質的な租税負担増加を意味する措置を幾つか議会で通している。
        
政権発足当初懸念されていたガバナビリティーの問題は下院第二党(PTが第一党)、上院第一党のPMDB(ブラジル民主運動党)を政府に取り込むことで解消されつつある。PMDBは党執行部が5月に正式に政府に参画することを決定してから、事実上、連立政権の一員として動いている。そのため、年金制度改革や税制改革などの構造改革には付き物の憲法改正案を可決するために不可欠な議席数の5分の3は何とか確保できている。ただし、万年野党の悪癖が抜け切れない与党連合内部の反対票を補うために現野党であるPFL(自由前線党)やPSDB(ブラジル社会民主党)の協力を必要とする。彼らは、ルーラ政権がカルドーゾ政権のやり残した構造改革を推進する限りにおいてこれに反対する理由はない。PMDBの入閣を目前に控える12月現在、ルーラ政権が議会で安定多数を確保するのは時間の問題となっている。党議拘束性がなく、選挙の1年前から選挙までの時期を除けば党の移籍が自由なブラジルの政党政治の特徴から、野党から与党に移籍するのは水が低きに流れるように自然の理である。2002年10月の総選挙直後にはルーラ政権与党は下院で50%弱、上院で40%弱の議員を確保していたに過ぎないが、約1年後の2003年10月の時点ではPMDBを含む拡大与党のシェアは下院・上院共に65%前後となっている。
   
ガバナビリティーが確保される一方、各種経済指標も好転している。ルーラ政権の最初の1年は、昨年、失われた市場の信任を回復するため1年だったと見ることが出来よう。大衆迎合に向わず、着実に前政権のやり残したことをやり、インフレを抑えるためには不人気な高金利政策も続行した。その成果を今、取り込みつつある。2002年9月にはR$4.00の心理的バリヤーを突破したドルレートは2003年12月半ば現在、R$2.9前後で安定している。昨年のピーク時には2400bp(basis points)を超えたカントリー・リスクの指標であるソブリン債のスプレッド(米国債金利への上乗せ金利)は400bp台にまで下げている。それと反比例して、ブラジルの主要外債であるCボンドの相場は額面価格の98%に接近している。外国投資家の信認が大きく回復していることの証左である。国際収支も大きく改善された。2003年1−11月期には220億ドルを越える大型貿易黒字を計上し、 同年1−10月期の国際収支は前年同期の8.74億ドルの赤字から、148.27億ドルの黒字に転換した。外資依存度が大幅に改善されたため、 外資誘致のために高金利政策を維持する必要性も薄れる。2002年12月には月間2〜3%台となったインフレ率は2003年11月には軒並み0.5%以下に落着き、公式インフレ率であるIPCA(広義の消費者物価指数)は通年ベースでインフレ目標率の8.5%を少し上回る程度に収まる見込みである。そのため、基準金利(Selic/Over)は2003年6月のピーク時の26%から12月には16.5%まで引き下げられている。今後、 1960年代から70年代にかけて軍事政権が行ったような大型ナショナル・プロジェクトを含む産業政策を実行し、当時の高度経済成長「ブラジルの奇跡」を蘇らせることがルーラ政権の描く基本的なシナリオである。 2003年11月には産業政策のガイドラインが発表され、同政策の中心的な役割を果たすBNDES(国家社会経済開発銀行)の融資能力の増強も図られた。このように、ブラジルの各種指標は大きく好転し、ルーラ大統領が宣言する「目を見張るような成長」という次ぎの飛躍に向けて、離陸態勢が整えられつつある。
          
「変化」を求めてルーラに投票した国民は今のところ、ルーラ政権の「変化していない」政策にまだ、希望を失っていないようである。支持率は僅かながら減ってはいるが、政権発足当時とほぼ変わりはない。来年、期待される経済成長が現実のものとなり、失業率が下がれば、国民の不満をかわすことは出来よう。一方、PT内外の過激派や、昔のPTのイデオローグやシンパの中には「変身した」ルーラに付いて行けない者が出ている。政府は彼らの忌み嫌う「市場の信認」の回復を優先課題とした上、11月には彼らが「諸悪の根源」と見るIMF協定を更新さえした。PTが政権を取る前に積極的に支援してきた土地なし農民運動(MST)は今のところ、正面切って政府を批判していないが、既に、ルーラ政権はカルドーゾ政権よりも土地なし農民の入植件数が少ない事実を公然と指摘している。
         
12月半ば、昔の革命的PTであり続けようとせんがために、「変身した」PTの現行政策と衝突を繰り返した4名のPT議員がPTを追放されようとしている。「革命勢力」の切り捨ても、議会での安定多数確保のためのの一環であろうが、安定多数確保でルーラ政権が失うものは少なくないだろう。現行議会制度の枠組みの中では、カルドーゾ政権の轍を踏み、公職ポストや財政資金等の餌をばら撒くことを強いられようし、すでにそうした動きがみられる。そうなれば、PT内外の過激派やMST(土地なし農民運動)が、ルーラ政権に見切りをつける恐れがある。既得権益を死守しようとする勢力と現行秩序を打破しようとするMSTのような「革命勢力」との狭間にあって、プラグマティックな政策運営を迫られるルーラ政権が「改革」と「変化」のモーメンタム(勢い)をどこまで維持できるかが今後の課題となろう。

      
【(社)日本ブラジル中央協会発行 会員向け誌
『ブラジル特報』2004年1月号掲載】



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