マナウス・フリーゾーン

山岸 照明 (アマゾナス日系商工会議所 前会頭・アマゾナス州工業連盟 理事)


   
マナウス・フリーゾーン(Zona Franca de Manaus - ZFM)は、1967年2月28日大統領令第288/67号に拠り発令された。アゾナス州は1880年代より1915年にかけて天然ゴムの生産地として栄え、20世紀初頭のブラジル経済を支えていた。1910年代に至り英国が東南アジアにおいて試作していたゴムが高品質、かつ低コストの採取に成功すると、アマゾナスのゴム産業は凋落の一途をたどる。しかし、1890年代より1910年代までの隆盛期の加速度は、20年代までアマゾナス州の経済を支えて行くこととなる。

1934年、アマゾナス州とパラ州境のパリンチンスに入植した日本人移民は、ジュート麻の栽培に成功し州の糊口を繋ぐ。40年に日本が米英と戦いの火蓋を切ると、再びゴム景気が訪れる。日本軍は東南アジアへいち早く進軍、ゴム生産地帯を占領すると、連合国側は戦略物資ゴムの供給を絶たれてしまう。当時のルーズベルト米国大統領は、アマゾンゴムの再生産プロジェクトを策定、アマゾナス州へ多大な補助金を与えて計画の実現を図った。ブラジル側では折からの旱魃で職を失った東北ブラジル セアラー州の難民約3万人をアマゾンの密林に”ゴムの戦士”と称して送り込んだ。しかし、所詮はゴム採集経験皆無の人海戦術は初期の計画とはほど遠い結果に終わってしまう。

1945年第二次世界大戦が終結し、この第二次ゴム景気も終了する。過疎化の進行に苦慮した連邦政府は、57年6月6日法令第3173号にて、マナウス・フリーゾーンを制定する。この制度は輸入製品をマナウス域内のみで販売した時に、税制恩典が付与されるのみで、結局20万人足らずの市場では何等の実質的効果は得られなかった。

1963年軍事政権が発足、高インフレと外貨準備高の不足を是正するため、輸入の制限を厳しく施行した。こうしてマナウス・フリーゾーン(以下ZFM)は、@輸入代替品の製造、A国家防衛、B地域開発の任務をもって発足した。しかし、アマゾナス州マナウス市と、ブラジル中央の市場とは3,000kmからの距離があり、工業製品の搬出には大きなハンディキャップとなる。政府はそれをカバーするための税制恩典を発令し、工業誘致を開始した。


ZFM の売上高推移(2002〜06年)


その税制恩典とは、

輸入税−ZFMで消費または工業生産に使われる部品、材料、機械、設備等は免税。域外へ工業製品を出荷する時には、使用した輸入部品にかかる所定の輸入税の88%控除。

工業製品税−免税。

流通税(州税)−製品により55%から100%の還付。

法人所得税−利益を計上した年度より10年間100%控除。(現行75%)

上記4本柱の税制恩典を基本に、1968年には工場の進出が始まった。ちなみに、当時のZFM域外での家電製品、オートバイ、時計(当時”贅沢品”と呼ばれた)輸入税、工業製品税は、それぞれ100%以上であった。そして本年(2007年)2月28日、40周年を祝ったZFMは、年間230億ドルを売り上げる200万都市に変貌した。南米における地方開発計画では最も大きな成功例であり、また世界各地2,000箇所に存在するフリーゾーンの成功例でも5番以内に位置している。

しかし、その道程は決して平坦では無かった、1970年代後期よりの外貨不足、”失われた80年代”、そして90年代初頭の輸入自由化でZFMの制度は大きく転換、近年に至り安価な中国製品との競争等々、吹き荒れる嵐に屈せず、確実に成長を遂げてきた企業努力の力は驚異的といえるであろう。

ZFMの成功は、日本企業の活躍を無しには語れない。ZFM発足早々1971年シャープが先ず進出、次いで73年サンヨー、76年ホンダ、そして77年には家電メーカーのセンプ社に東芝が出資、技術提供を骨子にセンプ東芝が生産を開始している。

1970年代は、前半は”ブラジルの奇跡”といわれる経済成長を誇るが、後半に入ると外貨準備高不足のため、76年よりZFMも輸入外貨の規制枠が発令された。この時期ZFMの将来への見通しは未だ混沌とした時代で、果敢に進出を果した当時の日本工業の前向きな”進出意欲”には多大な評価を受けている。1980年代に入ると、パナソニック、ソニー、ムラタ、オムロン、ヤマハ、メタルフィーノ、ショーワ等々進出が続く。そして1987年、アマゾナス日系商工会議所設立の機運が高まり2月5日に設立総会が執り行われた。先ず会員間の親睦、情報の交換を活動の中心としたが、折りしもブラジル経済は混乱とインフレの高進より、遂に時のサルネイ政権は外債のモラトリアムを宣言する。この様に困難な企業環境を一致団結し乗り越え、現在では州工業連盟、その他の企業団体と密接な連携を、関係当局、中央政府とも積極的に接触を保ち、企業環境の改善に努めている。部門別に進出企業を見ると、電機電子部門6社(129社)、二輪部門13社(28社)、時計1社(10社)、写真材料その他6社(33社)となっている(カッコ内は業界社総数)。現在、ZFMで稼動する工業の総数は約500社強であるが、日本企業は僅かな社数で90年代より売り上げで20〜25%、雇用人数で18〜20%の平均ベースを維持している。

日本企業の活躍に加え、各国の多国籍企業の活躍もまた顕著である。欧州勢では、フィリイップス社が1970年初頭に進出、カラーTVを中心とした家電製品では常に一、二を争う位置にいる。また従来サンパウロ州にて生産していたブラウン管の製造をZFMに移転、韓国のサムソン社のブラウン管工場と提携し生産を拡張している。大型のブラウン管はやはり韓国のLG社と共同生産を行っている。その他、ドイツのシーメンス、フランスよりBIC、電子部品のトムソン等、特に携帯電話のノキアの活躍も目覚しい。例えば、ZFMの輸出高の約40%はノキアの対米輸出であり、年間生産量は平均約3,000万台である。

アメリカ勢は、コカコーラ、ペプシコーラ、剃刀のジレット、コダック、ハーレーダビットソン、ゼロックス等々枚挙の暇はない。アジア勢の進出もまた顕著である。特に二輪業界では、中国より既に5社。それに加えて台湾のSundown社の生産規模は、既に業界三位に付けている。電気電子部門では悼コ請け業界狽フ進出が最近著しい。台湾の大手下請け業者Hon Hai社のFoxcon社は米国経由の投資で進出、電子基盤の組み立てのみならず、家電製品、カメラ等の”下請け会社”として業績を伸ばしている。米国のJabil社もこの分野で急成長を遂げている。

ZFMの制度は、時限立法で現在2023年が期限である。しかし、私たちはブラジル政府はあらゆる意味でこの制度を継続せねばならないと観測している。まず経済的には、既に充分採算は取れ、アマゾナス州は北ブラジル唯一国庫へ税金を納税している州でもある。

ZFMの役目は冒頭に挙げた三つのうち、”輸入代替の供給”は1990年初頭に終わり、”地方開発”は”万年要補助補助都市マナウス”より自立の出来る200万都市に成長した。それでは現在の”任務”は何であろうか? 間違いなく”マゾナス州1,500平方kmに及ぶ熱帯雨林の保護”である。当州の現在までの伐採面積は、僅かに1.8%のみである。工業団地の業績で、州は充分運営を行い、森林保護も出来る。他の産業で森林破壊をする必要は無い。そしてその工業団地には、現在日本政府の協力の下に工業廃棄物処理センターのプロジェクトが発足し、JICAの手で調査が行われる予定である。もう一つの役目は”ブラジル経済の発展に必要な、地方格差の解消”に努力を払うことである。”国家防衛”はいうまでもない。私たちは、ブラジルのみならず世界の人類に対する大きな社会的責任を負っていることを自覚し、ZFMの発展に努力する所存である。
    

zonafranca500.jpg (43980 バイト)
工業団地
    

    (社)日本ブラジル中央協会発行 会員向け隔月刊誌
  『ブラジル特報』 2007年9月号掲載】

     


ホーム】【経済評論コーナー文化評論コーナー