ブラジル日系社会における言語状況

中東(なかとう) 靖恵(やすえ) (岡山大学大学院助教授)


  
かつて多くの日本人が祖国を離れ、異国の地に降り立った。ブラジルへ渡った日本人は約24万人。移住開始から約100年経った現在、日系6世も誕生し、総人口約140万人を包含する世界最大の日系人コミュニティとなった。だが、1980年代後半以降のデカセギブームにより日系人口は激減、少子・高齢化が激しく、コミュニティの衰退が危惧されている。いまやコミュニティメンバーの中心はブラジル生まれの2世、3世であり、生活言語としての日本語はポルトガル語へと交代しつつある。ブラジル社会において日本人移民たちはどのような言語生活を送り、そこで日本語はどのように変容してきたのか、そのような言語の実態についてはまだ不明な点が多く、その解明は急がれる課題である。

日系社会における言語の問題は移民たちにとって常に大きな関心事であったが、それは戦前戦後を通じ、子弟教育をめぐる言語問題、とりわけ日系子弟への日本語の継承という教育問題として語られることが多く、言語の記述が行われるのは1950年代後半以降のことである。佐藤常蔵はある日系家庭における会話として、以下の例を挙げる(『ブラジルの風味』1957年より)。

「パパイ、自動車のシャーヴェ・オンデ・テン、それからミ・ダー・ドゼントス・クルゼーロス、ガソリーナをコンプラせにあならんで」   

これは、2世の子供が父親に対して話しかけている場面であるが、「パパイ(papai)」「シャーヴェ(chave)」などポルトガル語からの借用や、「コンプラせにあならんで」のような方言形の使用のほか、日本語とポルトガル語のコードスイッチングといった言語的特徴が観察される。  

日系移民の多くは西日本、とりわけ九州・中国地方出身者であった。日常生活におけるブラジル人との接触は、彼らの日本語に大きな影響を与えた。移民らが持ち込んだ方言混じりの日本語が移住先のポルトガル語と接触、混交して生まれた言語は、かつて「日伯混合語」などと呼ばれていたが、戦後、日系社会を「コロニア」と呼び始めた日系人らはこれを「コロニア語」と呼ぶようになった。常にポルトガル語の影響下に置かれ、日本語の規範を持つことの難しかったブラジルの日本語は、結果的に日本の日本語と著しく乖離することとなったが、まさにそれは異国の地で育まれた地域方言、つまり日本語の「ブラジル方言」といえるだろう。   

だが、世代交代の進む日系社会において日本語の維持は難しくなっている。1958年に行われた全国調査(『ブラジルの日本移民 記述編』1964年)によると、家庭内での使用言語は都市部・農村部ともに日本語が優勢であったが、1987〜8年にサンパウロ人文科学研究所によって行われた全国調査では、都市部・農村部ともにポルトガル語が優勢となっていた。つまり、この30年の間に家庭内での日本語とポルトガル語の言語使用は逆転してしまったのである。その後、全国調査は行われていないが、2000〜1年に同研究所が実施した4地点調査では、家庭内でポルトガル語を使用する傾向は、親子間・夫婦間に比べ、特に子供間で顕著であることが示されている。

ブラジル日系社会における言語調査はこれまでも行われてはいるが、言語生活全般にわたる詳細な調査は行われておらず、その実相は明らかにされていない。そこで、2003年、サンパウロ州日系農村地域、ミランドポリス市アリアンサ移住地(奥地農村)とスザノ市福博村(近郊農村)において言語生活調査を実施した。なお、この調査は、大阪大学21世紀COEプログラムの一プロジェクト(代表:工藤真由美 大阪大学大学院教授)として行われたものである。

調査は両地点標本抽出により選ばれた話者を対象に行った。アリアンサ移住地111人(1世41人、2世42人、3世28人)、スザノ市福博村108人(1世39人、2世41人、3世28人)、計219人である。1世は70〜80歳代、2世は50〜60歳代、3世は20〜30歳代が中心である。アリアンサ移住地ではほとんどが農業従事者であるのに対し、福博村では農業のほか商業・販売業など異業種も多いという違いはあるが、2世・3世の若い世代での高学歴化、カトリック信者の増加、非日系との結婚、デカセギ経験者の漸増といった傾向が共通して認められる。

では、世代の異なる話者が混在するコミュニティ内での言語使用はどのようであるのか。@家庭内で、A地域の日系団体・宗教団体で、B日系人の友人と、C職場での言語使用について、5段階評定(日本語のみ・日本語のほうが多い・日本語とポルトガル語が半々、ポルトガル語のほうが多い・ポルトガル語のみ)で尋ねたところ、いずれの場合も、1世は日本語中心、2世は日本語・ポルトガル語併用、3世はポルトガル語中心であり、世代差が顕著であることが明らかになった。つまり、移民の母語である日本語はもはや家庭内でも維持されておらず、日本語からポルトガル語への言語シフトは、3世世代でほぼ完了しているということができる。

このような言語使用の世代的推移は、話者の言語能力とも関連がある。日本語とポルトガル語の言語能力意識を、「聞く」「話す」「読む」「書く」の4技能について、4段階評定(よくできる・だいたいできる・少ししかできない・まったくできない)で尋ねたところ、日本語能力については1世>2世>3世の順で評点が下がるが、ポルトガル語能力については、1世で評点が低いものの、2世・3世では評点が高かった。また、4技能別に見ると、日本語能力では4技能すべてにおいて高く評価する1世に対し、2世ではとりわけ「読む・書く」の評点が下がり、3世では4技能すべてにおいて評価が低い。逆にポルトガル語能力については、1世は4技能とも低く評価するが、2世・3世では4技能ともすべて高く評価している。つまり、若い世代で日本語使用が少なくなるのと並行して、日本語能力も漸次衰退し、とりわけ「読む・書く」で日本語の維持がより困難であるのだが、ポルトガル語能力については、日本生まれの1世とブラジル生まれの2世・3世との間で顕著な差が認められた。

言語使用と同様、言語能力意識にも世代差が顕著に現れるわけだが、同じ世代の中でも個人差がある。日本語能力の差異に関わる要因として、日本語学校通学歴や成人後の日本語学習歴のほか、家庭・学校・職場などでの日本語使用、デカセギ経験などが考えられるが、今回のデータからは日本語の維持に強力に関わる要因を突き止めることはできなかった。一方、ポルトガル語能力については、幼少期に移住した人、ブラジルで通学歴のある人、成人後ポルトガル語を学習した人、職場でポルトガル語を使っている人で評点が高く、とりわけブラジルでの通学歴の有無が、ポルトガル語能力評価の差異に顕著に現れることが明らかになった。

1980年代、ブラジル移住の時代は幕を閉じた。1世世代の減少・高齢化、2世・3世世代の台頭にともない、職業の多様化、都市部への人口集中、高学歴化、非日系との結婚など、日系人の生活も一昔前とは大きく様変わりし、生活の中における日本語の位置も変わりつつある。コロニアに帰属意識を持たない若い日系世代の増加は、エスニック・グループとしての日系コロニアから求心力を失わせ、80年代後半以降の日本へのデカセギ現象は、日系コロニアの衰退に拍車をかけた。日系コロニアの衰退は、移民らによってブラジルに持ち込まれた日本語の衰退をも意味する。かつて移民とともに海を渡った日本語の姿を、直接見ることはすでにできなくなってしまったが、日本語そのものが日系社会の中から消えてしまう前に記録・保存すると同時に、まだ明らかにされていない諸問題の解明に努めなければならない。
     

                            
(社)日本ブラジル中央協会発行 会員向け隔月刊誌
『ブラジル特報』 2006年7月号掲載



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