ブラジルは変わったか  


   渡邉 裕司(JETRO サンパウロ・センター所長)


カラっと気持ちよく晴れ渡る正午のサンパウロ・コンゴニャス空港、日本製のYS-11型機も見える。これが生まれて初めて私が見た外国だった。1974年11月15日(金)、地球の反対側に達した興奮とリオデジャネイロの美しいコパカバーナ海岸を眼下にした感動は今も鮮明に覚えている。「セニョール、ゴスタリーア…?」、にっこりと微笑んで飲物をすすめるアエロモッサに見とれる。貧富、肌の色を超えて明るい、屈託のない大らかな国民性に大国ブラジルの片鱗を見る思いがした。ここは窮屈な日本よりはずっといい国だ、そう予感した。同時にこの国を知りたいという強い好奇心にかられる。64年以降続く軍政下の暗い印象は全くなく、国家全体が明確な目標に向かって力強く前進しているようだった。

  
強い経済に変身

アメリカの未来学者ハーマン・カーンがブラジルは未来の大国になる、と予言し世界が注目した頃であった。あれから32年、月率2桁の高インフレがあたかもブラジルの代名詞であるかのような時代を乗り越え、21世紀のブラジルの「未来」が見えてきた。90年代に進めた果敢な自由化改革、その後の幸運な世界景気の拡大とエネルギー潜在力がブラジルを変えた。同時に対外信用は向上し07年にブラジル外貨建て長期国債は投資適格のBBBに格上げされる見方も出ている。ペトロブラス、リオドセなどの世界企業の資金調達能力も欧米有力企業並みで、これらに対する金融機関の貸出し競争も起きている。

強い通貨レアルは、ブラジルの最近の経済力を象徴している。中銀政策金利が13.75%という高金利政策もあるが、低インフレ(=通貨安定:06年は2%台後半を予測)、経常収支と1次財政収支黒字の定着、公的対外債務減少(03年1,357億ドル→06年6月845億ドル)、外貨準備増(03年493億ドル→06年9月734億ドル)がレアル上昇の要因である。私の試算では06年9月末現在、市場の対ドル実勢レート@2.17レアルは94年の通貨改革「レアル・プラン」以降のインフレ率等を考慮すると37.5%もの過大評価である。これの修正、つまり理論上あるべきレート@3.47レアルに調整するには60%の切り下げが市場でなされねばならない理屈になる。しかしそのような期待は市場では今のところ起きそうにはなく、レアル買い優勢が続いている。中銀が市場介入をやればやるほど手持ち外貨が増える。輸出の増勢、高金利と通貨上昇で流入する外国人の国債投資資金もドル売りに加勢する。おまけに大蔵省は何故か今年2月、非居住者の国債投資に所得税非課税措置を講じたのである。選挙を前に事態を憂慮した政府は8月、市場でのレアル買い圧力を少しでも抑えようと外貨資金の中銀集中を改め輸出代金の一部を外貨のまま保有することを認めこれを対外決済に充ててよい、とする為替規制緩和を決めたが、施行細則が決まらず実行されていない。

   
世界最大のエタノール供給力

ブラジルを現場で見ているとこのレアル高は一時的現象ではなく、今後も続くか、場合によってはさらなる上昇もあり得るように思えてならない。2006年上半期の輸出は609億ドルの前年同期比16%増に対し、輸入は為替高と景気回復で414億ドルの同22%増と急増し輸出額の伸びを上回った。しかし依然、輸出が伸び続けていることに変わりなく、2005年の輸出総額は1,183億ドルと6年連続で最高記録を更新し、輸出総額は10年で(輸入総額の1.5倍弱に対し)2.5倍強に拡大した。輸出増は鉄鉱石、大豆、原油、粗糖の資源等価格上昇だけでなく、自動車、自動車部品、航空機などの工業製品輸出の拡大も寄与している。しかしブラジルの評価を市場で高めたのはファンダメンタルズだけではない。21世紀のエネルギー大国化する可能性が現実のものとなりつつある事実である。ペトロブラスは06年に悲願だった原油完全自給化(191万バレル/日)を達成し数年後の自給化に向けたガス田開発計画も発表した。油価の高騰で条件の悪いブラジルの海底油田開発でも採算が取れるようになり世界一といわれる深海底油田掘削技術を駆使して開発を進めたからだ。

さらに再生エネルギーの切り札バイオ・エタノールは世界最大の供給力を持つが、これが将来さらに数倍の能力に拡大する潜在力を持つ。砂糖きびから造るブラジルのエタノールはメイズを原料とする米国や中国産、甜菜/小麦の欧州産に比し、格段の競争力を持つ。現在の砂糖きび作付け面積は600万ha(宮崎県の8.6倍)だが、ブラジルの耕作可能総面積9,000万haのうち6,000万haが農耕され、3,000万haは遊んでいる。作付けを増やそうと思えば今の6倍まで生産を拡大できる計算だ。

エタノールの年間生産量は世界最大で1,700万kl(世界のビール総生産量の10分の1)、うち輸出が300万kl。これを2015年頃には4,100万kl(輸出1,400万kl)にまで持ってゆく計画だ。砂糖きびは多年作物で植付けから収穫まで2年かかるが、5〜6回(5〜6年)連続して収穫でき、休耕せずにそのまま肥料を投入して植付けできる土地が多い。農場内の工場できびを搾汁処理し、砂糖製造とエタノール用発酵蒸留工程に振り分ける。世界は今、ガソリンへのエタノール直接混合比率(3%〜100%)を高めるのが主流だが、日本の石油業界は当面、ハイオク用添加剤ETBE製造用に2010年から36万klを海外から輸入することになっている。ちなみに日本のガソリン年間消費量は6,000万kl、3%直接混合のE3ガソリンでも年間180万klの輸入需要となる。京都議定書では砂糖きびの生育過程でCO2が吸収されるためエタノール燃焼時のCO2はカウントされず、エタノールはカーボンフリーのクリーン・エネルギーの主役になっている。

   
強力政権は誕生するか〜構造改革の再開がカギ

とはいっても、ブラジルの何もかもすべてが順調に運んでいる訳ではない。肯定的に変化した多くの部分は注目に値するが、発展途上国特有の構造問題は依然、山積する。特に心配なのが90年代のコロル、カルドーゾ政権が進めた改革が中断していることと、外的経済環境が良いが故に、改革の必要性を政治が忘れてしまったのではないか、という点である。中銀の不可解な通貨政策(高金利、53%の強制預託率)、まだある政府の無駄使い、高負担税制、非効率インフラ、競争力を低下させる労働法制、悪化する治安、改善されない教育、戦前のヴァルガス時代から残る時代錯誤的為替管理規制(フルラン開発商工相発言)などなど。これらすべての改革を断行するのは政治であり、構造改革の再開は強力政権が21世紀にも誕生するかどうかにかかっている。

大衆迎合的バラマキ政策中心の政治が仮に続けば、経済構造は再び弱体化してゆくと考えねばならない。財政赤字が無くなったとはいっても、政府の国債発行残高は1兆3,000億レアル超、GDP比51%(州、自治体債務含めると110%台)に達し、高金利が原因で現政権下で残高は1.3倍に増えた。利払いは巨額で財政総合収支は対GDP比5%台の赤字である。新興国家では異例の2%台の低成長に甘んじているのも不必要な高金利政策が主因である。金融機関の収益柱は国債投資、消費者金融、コール市場での運用などで、企業への設備資金の貸出しは事実上、ない。

砂糖きび収穫風景〜4万ha規模のサンジョアン農場、
2006年8月サンパウロ州

cana_400.JPG (64093 バイト)

(社)日本ブラジル中央協会発行 会員向け隔月刊誌
『ブラジル特報』 2006年11月号掲載


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