ブラジル 大統領選挙をめぐる最近の情勢

   
  2002年9月6日

  桜井 敏浩


      


このレポートは、筆者が、8月中旬から下旬にかけてブラジル各地に出張し、多くの様々な分野の識者との意見交換を通じて得た情報を、筆者なりの解釈に私見を加えて整理したものであり、もとより個人の見方である。


○ ブラジルに対しては米国も支援を表明、8月7日にはIMFの300億ドルをはじめ、世銀45億ドル、IDB25億ドルの融資が決まったが、8月中はレアル安が止まったとはいえない状況が続いた。 大規模支援にもかかわらず、レアル安解消に向かっていないのは、特に左派系の次期大統領候補が、政権担当後にこのIMFとの協定事項を遵守するかを、国際金融界が懸念していたのも一因なので、カルドーゾ大統領は、19日に主要大統領候補4名と会合し、各候補から現行経済政策の維持について、概ね良好な反応を得たといわれる。
     
○ 国際金融界の左派系候補が次期大統領になることに対する警戒は根強いが、今のところ支持率トップのルーラ候補もさることながら、特にシーロ・ゴメス候補に対する不安観が強い。 年初からブラジルのマクロのファンダメンタルズが徐々に悪化してきていたが、シーロのTVキャンペ−ン開始(6月)にともなう支持率調査での上昇と、レアル安の加速化等の為替・金融指標悪化、海外でのリスク指数悪化(7月末アルゼンチン 6711,ナイジェリア 2414,ブラジル 2390,エクアドル 1800,ベネズェラ 1272)は、軌を一にする。
   
○ すでにシーロの言動がこれまで金融界の不安を助長(債務償還のデフォルトを仄めかし、非居住者勘定の廃止その他。その後で修正発言をして、事態沈静に努めている。さらに金融界からの選挙資金献金受け取りを拒否していることも、金融政策面でのフリーハンドを維持する意図とみられ不安を増大させている)。
   
→ 政権担当となったらルーラより危険、何をするか分からないとの見方をする知識層は多い。その経済スタッフは質量ともに弱いが、19日に国際に学界と金融市場で良く知られたJose Alexandre Scheinkman 米プリンストン大経済学教授を補佐グループに招聘。同候補と異なって市場開放を擁護する人物なので、シーロ政権は非常識なことはやるまいという見方を強めらているが、彼が実権を持つ経済閣僚等に就任するのか、単なる御意見番か、明らかにされていない。
  
○ 候補者中、もっとも(いわゆる左派的な)過激で、根拠を欠くばらまき財政を主張しているガロチーニョ・リオデジャネイロ州知事は、支持率上は決戦投票進出からほぼ脱落した。   カルドーゾ政権与党連合からのセーラ保健相は、8月下旬までまったく支持率が上昇せず、ルーラ,シーロに大差を付けられている。与党・連邦政府等の支援面でも有利な条件にあるセーラの伸び悩みに、他候補支持に走りそうな PSDB や PMDB の与党系議員や州知事が続出していた。
  
原因:
@個人的魅力の欠如、演説のアピール度の低さ
A政策の意外性・現政権との差別の少なさ
B政策や言動はまじめだが、一方で権謀術策が好きとみなされている
(例:ロゼアナ・サルネイ マラニョン州知事の大統領立候補潰し)
Cふつうならこの時期に政権が景気振興等ばらまき歳出を増やし、与党系候補の支援を行うが、マラン蔵相との長年の確執から、政府はIMF協定条件を盾に歳出増を一切抑えており、これまでのところ“援護射撃”がない。  
  
特にAはカルドーゾ政権の評価を意味する。8年もの間の総需要抑制策により低経済成長下での失業率の増大、貧富格差の拡大、治安悪化、教育・保健・社会保障の遅れなど、国民の不満は大きく、特に大衆には、とにかく政権・政府の変化を求める気持ちが高まっている。しかし他方レアル・プランによりインフレを抑えてきたことは、特に低所得層に大きな恩恵を与えたのは事実であり、彼らが前記の不満と現在のそれなりにインフレのない安定した生活の、どちらをより評価するかによって、セーラへの投票是非が左右される。
  
○ 各候補者に対する一般の見方を、今回の意見交換結果から類推すると以下のとおり。

カリスマ性   @ルーラ・シーロ, Bセーラ
イメージ度(外見・弁舌等) @シーロ,Aルーラ,Bセーラ
人柄(←→権謀術策)    @ルーラ,Aシーロ,Bセーラ
現政策の継続性 @セーラ,Aルーラ,Bシーロ
汚職の危険性   @シーロ,Aルーラ・セーラ
金融界等国際社会から見た安心感 @セーラ,Aルーラ,Bシーロ
外交政策を含む個人としての政策実行力 @セーラ,Aシーロ,Bルーラ
その他の要素


ルーラ −中間・上層の拒絶度を少なくするため、労組幹部的服装・アジ演説口調を止め、ソフト・イメージ演出が功を奏している

シーロ −夫人同様の女優パトリシアの癌闘病が大衆にアピール

セーラ −政治家で最も美人のカマタ議員を副大統領候補にするも、これまでのところは効果薄(彼女は上流育ちイメージが強い?)

○ブラジルの有権者が、数の上では@中流下層から貧困層が多い、A教育終了度が低いものが多く、新聞等文字情報よりTV・ラジオの影響力が強い、B若年層が多いことから、政策よりイメージによる投票行為が行われる(特に大衆婦人層)がちという背景から、選挙期間中は明快で(実現可能性はともかくとして)将来の明るさを約束する心地よい大衆受けする主張(ポピュリズム)と、相手の足を引っ張る中傷やスキャンダル暴きが多くなりがちだが、これまでのところルーラはもとよりシーロも中間層の票を意識して、過激な主張を抑えている。
  
3人の有力候補の中では最も若く、外見は清新なシーロは、イメージ的には優位にあるが、シーロと同じ北東部知事出身で、預金凍結等ショック政策と汚職の弾劾で辞任したコーロル大統領(1990〜92年在職)との共通性を強調する批判が、特にセーラ陣営からなされている。(その背景には、経済開放を断行したコーロル同様、シーロならサンパウロ経済界とのしがらみがないゆえ、どんな経済政策を採るか判らないという不安があるものと見る。)
 
地域別有権者数は、南東部が44%、南部が15%、北東部27%、中西部・北部14%であり、北東部のセアラ州を地盤とするシーロは、南東部・南部からの警戒・蔑視観と戦わねばならない不利がある。

特に重視すべきはTV・ラジオ選挙放送の影響である。提携政党連合の持つ議席数に応じて配分される放送持ち時間では、セーラが他の候補の2倍ないしそれ以上の時間割り当てを持っている。現に8月30日の各種支持率調査では、セーラの躍進とシーロの退潮が顕著に表れ、早くも両者は同率に並んでしまった。

Datafolhaの8月31日の世論調査
7月30日  8月16日 8月30日
ルーラ 33% 37% 37%
シーロ 28%   27%  20%
セーラ   16%  13% 19%
ガロチーニョ 11% 10% 12%

また現時点で2次選挙が行われた場合は、ルーラ対シーロ:ルーラ48%、シーロ41%、ルーラ対セーラ:ルーラ51%、セーラ39%となり、どちらの場合でもルーラ勝利を予想

  
セーラが追い上げた主な理由としては、TVでの選挙宣伝でのシーロの、特にセーラ攻撃が視聴者に嫌悪をもたらしたこと、政見が特に知識層の反発を受けていること、左派で構成されるシーロの支持党派に、これまで如何なる政権とも結び万年与党になるPFL(自由前線党)に所属するマガランエス前上院議員や、カルドーゾ大統領の党PSDB(社会民主党)に所属するタッソ・ジェレサッチ元セアラー州知事が加わり、多くの有権者に不信を与え、ご都合主義者の印象を濃くしていることも考えられる。
  
○ これまでシーロへ移動しつつあった現与党連合の一部は、早くも“勝ち馬”へ乗り換えるべく、セーラ回帰が起き始まっているといわれる。経済界のほとんどは初めから「セーラに勝って欲しい」が本音だったので、セーラ支持率回復により一層支援に力を入れると見られ、もはやシーロは退潮傾向と決めつけられないが、セーラの2位確保の可能性が強まってきた
   
○10月6日の選挙で過半の得票を得て一度で当選する者は出ない。大衆に現状変革期待が強いことと、イメージ選挙である要素を重視し、また今後セーラやルーラに選挙運動の失策やスキャンダルの暴露があるかもしれないことを考慮すれば、依然シーロが2位を取る可能性は排除出来ないが、シーロは言動が激しく、ややもすると墓穴を掘ることになりかねない(既に南東部・南部の知識層を中心に、8月末近くからシーロ離れが起きている)。
   
またブラジルの国民性は保守的であり、貧困層を含め生活が変わることを恐れる風潮があるので、変革期待は現在の生活の“安定”基盤の延長に限られる。したがいシーロの過激な言動や、ルーラの優勢によって、国際的に警戒感が増し、さらに大きく経済が悪化することになれば、それもセーラに有利に作用する。
  
セーラがシーロと2位を奪い合うが、このままセーラの巻き返しが功を奏すれば、セーラが逃げ切り、27日の決戦投票では1位で突破したルーラとセーラが争うことになる可能性が大きい。ルーラが当選する確率が60%、セーラ勝利の可能性は40%と見るが、今後のTV放送で国民の多くに政策担当能力がルーラより優れていることを納得させられれば、逆転勝利もあり得る。

連邦議会勢力は、現在の傾向とはそう大きく変わらないと見られ、

  1. 現与党連合の PSDB,PMDB,PFL が過半を取り、現在反政府系の PT(ルーラ擁立)、PPS(シーロ)や中立系の議席が飛躍的に増大することはない。
  2. したがい単純にはルーラもシーロも現在の同盟政党連合では少数与党は避けられない。
  3. しかし利に賢い議員・政党の常として、9月中旬になって帰趨が見えてきた頃から第
    1次選挙の直後には、“勝ち馬に乗る”動きが顕著になり、“負け馬”陣営から雪崩れうって駆けつける党派(例えば PMDB 等の一部が分派するなど)が続出するものと見られ、仮にセーラ以外の政権となっても数の上では一応の与党体制は出来るかもしれない。

○ 現在の議会大勢のコンセンサスとなっている政策を今後変更するとなると、議会でのチェックを受けるので、大統領が誰になっても、良くも悪くも大きな変革は成し得ない。特にルーラあるいはシーロが大統領になった場合は上記事情もあり、参加党・議員の利害を、与野党間での政策調整以前に“与党連合”内での調整せねばならず、それによって独自に採り得るの政策の幅は限られると思われる。
  
○ コーロル大統領以降、カルドーゾ政権でのレアル・プランの下で定着した開放経済,市場経済化,民間主導経済,公営企業民営化などは、国民の間でもコンセンサスになっており、ブラジル経済の基調になっている。また「財政責任法」「予算編成方針法(LDO)」等も出来たので、左派的政策への転換は自ずから限られ、大きな混乱を起こす逆行は出来ない
   
○ カルドーゾ政権の8年間は、インフレ抑制によって貧困層に大きな恩恵を与えたが、反面いくつもの“負の遺産”を後継政権に残していくことになった。

・通貨安定優先のため、高金利策等により経済成長が抑制され不況が続き、失業増大
・教育・保健・社会的弱者への施策が、ほとんど進展なし
・富裕層への課税不備と、地下経済化(Informalが50%以上)による税負担の不公正
 (所 得税納入者は、1億人の有権者に対し、わずか960万人に留まるといわれている)
・輸入の増大に対し輸出が伸びず、経常収支大幅赤字、対外資本依存度上昇
・財政・税制改革の停滞(含年金改革)により増え続ける連邦・州・市の債務
 高金利、為替安により増大し続ける膨大な内債残高(変動金利、為替連動債が多いた
 め。ただしカルドーゾ政権下で増えたのは、連邦の州市の債務肩代わり、政府機関の
 隠れ債務の表面化によるところも大きく、その責めを問うのはあたらない)は、時限爆弾
 である。
・深刻さを増す治安の悪化
  
これらは、誰が大統領になっても大きな課題としてのしかかるので、インフレ再燃防止と 両立させて採れる政策の手段と幅は極めて限られており、左派系でもそうそう独自色を出した政策は実施し得ないことになる。
      
○特に対内外債務の借り換え・償還継続とその削減、経常収支赤字を補う輸出振興と多額の外資の導入、外国借款取り入れと国債売却のための高金利の継続、年金支出の削減と税制改革などによる財政収支改善は、誰が政権を担っても基本的な課題である。
インフレ再燃の容認や債務のモラトリアム宣言による国際経済からの孤立を辞さない限り、政策基調は限定的にならざるを得ない。これもまた次期政権の政策の幅を拘束する

      
  
○これからの為替レートは、米国対イラク“開戦”如何、経済のバブル化の始末如何をはじめ、アルゼンチン等中南米諸国の政経情勢、欧米・新興国市場間の資金の移動状況等の外的要因、ブラジル自身の財政・金融情勢―特に債務償還状況、ならびに大統領選挙の帰趨と新政権の経済政策への信認如何などによって、来年第1四半期末頃までは上がり下がりしよう。
 
年末レートは、多くの予想は R$2.8〜3.0/US$とみている
が、左派系候補の当選とその言動や経済スタッフの顔ぶれなどよっては、最悪 R$3.0台前半(最も悲観的な見方をする金融機関支店では R$ 3.4〜3.5)との意見もあり、また確率は低いが現与党のセーラ候補が逆転当選した場合は、R$ 2台前半になるとの予想がある。

                                                                     以上


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