ルーラ政権への期待と不安

  桜井 敏浩 (日本アマゾンアルミニウム梶E拓殖大学)


2003年はルーラ政権の最初の年であったが、これまでのところカルドーゾ前政権との継続性をもった妥当な政策運営が行われ、懸案だった年金改革も進展し、ブラジル経済の最大の弱点である財政赤字縮小改善に希望をもたせるに至った。左派と目されたPT(労働者党)政権の出だしとしては予想外に堅実な経済運営を示し、国際的な信認も急上昇した。
        
2004年のGDPは多くの予測が4%近い成長率を示しており、レアルの対米ドル交換率も2.9レアル台と安定し、株価、カントリーリスク指数などもこの先当分は良好な水準が続くと見られている。ルーラ政権の前途は明るい展望を描くものが多いが、はたしてその実行力に弱点や問題はないだろうか? 基本公約である所得格差是正、失業減少の実現可否はいうに及ばないが、そのほかの視点からそのいくつかを大胆に検証してみよう。
      

@議会対策
      
2002年の選挙では与党連合は少数だったが、年金や税制改革はじめ多くの政策実行には立法、憲法改定が必要であり、そのためには連携党を増やして多数を確保することが不可欠となる。ブラジルでは選挙前の1年間以外は所属党の移動が自由にでき、またその時の政局と次の選挙をにらんで勝ち馬に乗る動きが加速するのが常であることから、今や上下院とも60%を超えほぼ安定多数を確保するまでになっている。しかしながら党議拘束性がないことから、重要法案で与党連合内からも造反が起きることはしばしばあるので、議会運営上はけっして安泰ということではない。

A地方政治対策

PTは従来サンパウロなど大都会を主な活動基盤としてきた政党であったがゆえに、地方への浸透が遅れ、選挙民により近い存在である州、市レベルの選挙ではさほど勢力を伸ばしていなかった。国会議員に影響力の大きい州知事は、2002年の選挙でPTは重要度の低い3州に留まり、2000年の市長選では全国5,658市のうち990市にすぎない。カルドーゾ政権下で与党PSDBが地方への躍進を果たしたが、今年10月の統一地方選での勢力拡大を実現できるか否かは重要な意味をもつので、これに向けての失業削減、貧困対策等の実績造りを急がねばならない。

B政策執行力
         
これまでのルーラ政権の高評価の最大の理由は、公務員の年金改革の前進だが、カルドーゾ政権が試みながら実現出来なかったのは、それまで野党としてことごとくその改革の進行を阻止してきたPTが与党の提案側にまわり、野党となったPSDBなどがそれまでの主張内容と共通する改革法案に対し未だ反対票を投じ難いという、新政権発足時の“蜜月”ならではの成果といえなくはない。単に与野党の対立と公務員の既得権死守の問題であった年金制度の改定よりも、一層既得権益と利害が錯綜した税制改革がほとんど実効をもつに至らなかったことは、ルーラ大統領の人気をもってしても、国会や地方州市等政界、官界、経済界やメディア、世論の説得がいかに難しいかを象徴している。
        
またルーラ政権の閣僚を見ても、鉱工業・アグリビジネスを牽引車とする経済成長促進を重視する者、PT伝統の労働者保護や一般大衆向け施策、環境を重視する者など、主義主張の幅が広い。それらの一方に極端に偏ることなく、内外情勢を勘案しつつバランスを取りながら、全体として政策の妥当性と一貫性を継続できるかが鍵となる。しかしながら、これは言うは易し行うは難しであることは、最近の電力政策をめぐり中央統制を強め料率上昇を抑えようとする鉱山エネルギー相と、輸出競争力と新規電力投資の採算を懸念する産業界寄りの大臣・議会との対立などをみても明らかである。
        
C行政手腕
       
ルーラ政権の弱点の一つは、万年野党だったため行政経験に乏しく人材の層が薄いことである。専門知識・運営手腕のない与党推薦の党活動家、支持基盤出身者、シンパの学者などが行政や政府機関の要職を占めることは、どの政権でも見られる現象とはいうものの、ルーラ大統領の選挙公約の重要施策である飢餓撲滅計画が担当大臣以下の実務能力の不足から実施が大幅に遅れ、BNDES(国立開銀)、石油公社、電力公社などの幹部が、それぞれの分野についての見識や実務知識に問題があり、ビジネス自体への理解度が低いことを懸念する声が少なくない。いくらルーラ大統領以下、有能な主要閣僚が適切な政策を打ち出したとしても、こういった中堅以下の行政能力が不足すれば実効はあがらず、それがじわじわと政権への信頼感と評価を下げることにつながることが懸念される。
       
D内部矛盾
         
PTは、これまで労働組合連合や土地無し民運動(MST)運動に代表される大衆・社会的弱者の代弁者を任じ、また万年野党として与党のやることの多くに反対をとなえてきた。政権党になったということは、このような体質を改め国民全体の利害を考慮しなければならないことを意味するが、その変容についていけないこれまでの“身内”−PT内部の左派,土地無し民運動,労組など従来の支持層の不満、反乱を抑えられるかが大きな課題である。
        
E中央統制
           
PTはこれまで地方にあまり基盤を持たず大都市を中心に活動してきたためか、伝統的に“中央での統制”を重視する考えがあるように見える。少なくともカルドーゾ政権の基調であった省庁削減に見られる“小さな政府”指向や、経済は原則としては市場に委ねるという発想は後退し、大きな政府が中央で統制しようとする動きが少しずつ現れてきた。電力などの独立法人の公共サービス管理庁(Agency)の権限縮小の動きは、その顕著な例である。この中央統制がいき過ぎると、上記Cもあり政策執行をぎくしゃくさせるばかりか、内外資本の投資を阻害させることになりかねない。
         
Fナショナリズム
                 
これまでどの政権でも程度の差はあっても、意識の底には地下資源(石油,鉱物)や重要基幹産業は外資に渡したくないという本音があったように思われるが、これまでのPTの言動と合わせると、現政権はカルドーゾ政権に比べればこのナショナリズム的傾向が強くなる可能性が大きい。すでに1997年に民営化された鉱業コングロマリットのリオドセ社へのBNDES持ち株の回復や、外資による鉄鋼業再編を牽制するBNDESの意向などにその萌芽が見られる。これまでのところBNDES総裁の考えによるところが多いといわれるが、それらがある程度まで政府としての方針につながる可能性は否定できない。しかし、このことがやや減少してきた外資導入の障害になれば、まだ脆弱性を残すブラジルの国際収支の懸念材料になる。
                              
G対米、対メルコスール外交
              
外交の自主性はPTが強く主張してきたことである。米国から迫られているFTAA(米州自由貿易圏)創設に先だって、MELCOSUL(南米南部共同市場)を拡大し、EUや中南米諸国等とFTA(自由貿易協定)を結ぶことで、米国主導でのFTAA結成を牽制することは、ブラジル外交の重要目標である。もっともブラジルが“南米の盟主”になることには、アルゼンチンはじめ南米諸国に強い警戒心があり、いかにブラジルが自己抑制をわきまえてまとめ上げるかが鍵である。
              
とはいえ、輸出入の各25%を占める米国との良好な経済関係は不可欠であり、イラク開戦に反対し、WTOメキシコ総会(2003年9月)では米国等先進国の農業補助金撤廃を求める開発途上国グループを率い鋭く対立したことは、国内においても懸念の声があがっている。米国の影響からの独自性の維持と対米協調のバランス取りが求められている。

           
ルーラ政権の実力に対するこれらの見方は、あるいは厳しすぎるかもしれないが、2002年の大統領選挙でのルーラ候補優勢の事態から
どん底まで落ちた国際金融界の信認指標の反動としての現在の評価は過大であることを指摘するのが筆者の真意である。換言すれば、ルーラ政権のこの1年の高い実績評価が今後とも続くということはないだろうが、だからといって歴代政権に比べて悪いということでもない。よほど外的要因で逆風が吹かない限り、ブラジルの政治・経済はそう大きなリスクはないとみていいだろう。
                       


【(社)日本ブラジル中央協会発行 会員向け隔月刊誌
『ブラジル特報』 2004年3月号 掲載

          



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