アルゼンチン危機とブラジル、ペルー
  

横浜国立大学経済学部助教授
ペルー問題研究所(在リマ)客員研究員

山崎圭一


 

              

1 はじめに:ポピュリズム体制の成立と破綻
  
 昨年(2001年)12月にアルゼンチンで経済危機が顕在化し、暴徒と化した市民による商店の略奪の頻発という社会不安に発展したことは、周知の通りである。この記事を執筆している現時点(02年1月末)で、まだ社会不安は収まっていない。この機会に、ブラジルおよびペルー経済の研究者として、アルゼンチン危機の影響について考えてみたい。
   
 アルゼンチンは、1946年にJ.D. ペロン将軍が大統領に就任して、労働者階級の強い支持を得たポピュリズム体制が成立した(ペロニズムとも呼ばれている)(注1)。ポピュリズム(大衆主義)という、一般には肯定的響きを持っておかしくない言葉が、ラテンアメリカでは悪い意味で使用される。その理由は、(1)大衆迎合主義によって財政赤字が増大し、ハイパー・インフレが生じ、国民の生活基盤が破綻した。(2)高関税率による保護主義と国営企業の乱立で、民間企業の国際競争力が地に落ちて、国民経済が停滞し破綻した。(3)貿易赤字を対外債務でまかない、累積債務問題が深刻化した、からである。「一見民衆の方を向いた政権が実は民衆を裏切る」という点において、ファシズムに共通する。
  

2 新自由主義路線の始まり

  
 アルゼンチンのポピュリズム体制は行き詰まり、1976年に崩壊して、軍政にとってかわられた。軍政は経済自由化を進め、国民経済の国際競争力を回復させようとしたが、83年に終焉し、中道政党である急進党(アルフォンシン大統領)による民主主義体制へと移行した。アルフォンシン大統領による経済改革は失敗し、89年にペロン党(正義党)が選挙に勝利して、カルロス・メネム政権が成立した。メネム大統領は99年まで2期政権を担当した。ペロン党(正義党)は、軍政以前のポピュリズム的経済政策に回帰したのか?答えは否で、IMFの指導のもと、180度異なる政策、すなわち民営化、貿易自由化、規制緩和といった新自由主義的政策を促進した。また兌換法で、対ドル為替レートを1対1に固定して(「ドル化」の促進)、物価と為替の安定を実現した。しかし経済運営はうまく行かず、結局99年の大統領選挙では、ペロン党は野党連合(主に急進党とフレパソ祖国連帯戦線)のデ・ラ・ルア大統領に負けた。そのデ・ラ・ルア大統領も、結局昨年末の経済的社会的混乱の中で、辞任し、再びペロン党(正義党)が、今度はドゥアルデ大統領の下で、政権についた。不満を募らせる民衆への対応の必要もあり、新政権が、伝統的ポピュリズム政策に回帰する危険性がある。
   

3 アルゼンチン危機の要因

   
 問題は今回の危機の原因であるが、外から見ていて、4点あると思われる。第1は、構造的要因である。Veja誌は、アルゼンチン危機の特集記事の中で、以下の通り指摘している(注2)。第2次世界大戦前、同国は戦争で疲弊した欧州へ向けて食品を輸出しておおいに繁栄し、世界第6位の地位を享受した。戦後欧州経済が復興し、食料時給率を高めたので、アルゼンチンは経済戦略を根本的に見直す必要があったが、戦前の繁栄の酔いから醒めることなく、戦略転換を怠ったまま今日に至った。チリがたとえばワインを戦略商品に位置づけ、輸出振興を図ったことと、対照的である。この指摘のように、産業・貿易構造の抜本的改善をしなかった事実は、重大である。第2に、IMFの緊縮路線の評価である。メネム政権以後、基本的に新自由主義の政策が追求されてきた。はたして、危機勃発の責任はIMF路線にあるのか?基本的にはその通りである。ただしIMFの緊縮路線は、危機の背景を構成する一要因に過ぎない。もしIMFが危機の主要因ならば、世界中の途上国で社会不安が勃発しているはずだが、インドネシアを除いて、実際はそうなっていない。IMFが同じように介入しても、なぜある国では社会不安が生じ、他国ではそうでないのかが、明らかにされねばならない(注3)。なお緊縮路線は、いつまで継続可能なのか、これに代わる路線があるのかについては、ペルーやブラジルにとっても重要なポイントなので、第5節で検討する。
   
 第3の要因は、94年のメキシコ金融危機や、98〜99年のブラジル通貨危機の影響である。前者の悪影響からメネム政権は早く脱することができたが、後者のブラジル危機以後のアルゼンチンに対する世界の不安感は、今に至るまで尾を引いたことになる。
   

4 「制度的能力の向上」の遅れ

   
 第4の原因は、「制度」の改革の遅れで、これが一番重要である。近年途上国経済のパフォーマンスの改善には、新自由主義の考え方にしたがった貿易自由化や規制緩和だけでなく、司法制度や立法機関(国会)の透明化・民主主義化、行政能率の向上、汚職の撲滅、治安の改善、無法地帯の極小化、公務員の縁故採用の禁止といった、「制度的能力の向上」が重要だと、認識されるようになっている。競争的な公務員試験で採用された、公僕としての使命感と規律を持った公務員が増え、役人や警官に賄賂を渡す必要がない社会で、それを経済学では、「取引コスト(transaction cost)」が極小化された状態と呼ぶ。
   
 IMFが経済自由化を重視し、世銀が「制度的能力の向上」を重視するという点で、両者の間で、開発に対する態度に温度差が生じていることは、近年よく知られている。世銀内部での制度論の興隆の背景には、ノーベル経済学賞を受賞した世銀の上級エコノミスト、J.スティグリッツの影響力がある。アルゼンチンは、こうした制度面の改善が遅れたと理解すべきである。公的部門が腐敗し政治家のモラルが低い環境において、民営化が実施されても、結局利権が国家部門から一部の民間企業家の手に移るだけで、経済全体のパフォーマンスの改善にはつながらない。このことは、イタリア人経済学者のグループの民営化研究が、明らかにしている。アジア経済研究で著名な、ペルーの国立サン・マルコス大学経済学部カルロス・R・アキノ助教授は、「アルゼンチン危機――我々が避けるべきドラマ」と題する記事(International Press所収)の中で、労働市場のフレキシブル(柔軟)化、民営化だけに止まらない国家部門の改革、中央政府と地方政府の行財政関係の改革、貿易システムの近代化、資本市場の近代化などに、本来アルゼンチンが取り組まねばならなかったのに、こうした課題が手つかずのまま放置されてきたと、批判している。これも、「制度的能力の向上」の重要性の指摘である。
   
 IMF流の緊縮路線を走ったとしても、制度的能力が改善されていれば、すぐには社会不安に導かないであろう。アルゼンチンは、IMFの指導にのみ従い、世銀の近年の考え方を尊重しなかったのではないだろうか。今途上国にとって大切なことは、世銀の強調する、汚職の撲滅、公務員の縁故採用の廃絶、犯罪の縮小、司法制度の透明化と民主化といった改革課題に、力を注ぐことである。制度的環境の整備こそが、市場メカニズムの正常な機能のために、必要不可欠なのである。
   

5 IMFの緊縮路線をどう評価すべきか?

    
 自由化路線は継続すべきなのか?あるいは、それを放棄して、ポピュリズム路線に回帰すべきなのか?先述したように、アルゼンチンのドゥアルデ政権には、ポピュリズム回帰の兆しがある。先ほどのVeja特集記事のタイトルは「ポピュリズムへの時限爆弾が仕掛けられた(Esta armada a bomba do populismo)」であった。いずれの路線も、最適ではない。ポピュリズムへの回帰は、年間数千パーセントの時代の悪夢を、人々に思い出させる。しかし、緊縮路線のままでは、産業の競争力強化は促進されないであろう。財政均衡にこだわり、資源配分を市場競争に任せただけでは、このグローバル化し国際競争が厳しい時代には、ラテンアメリカの企業は競争力を獲得できない。技術開発をし、新商品を産み出し、世界市場に打って出るためには、政府の支援が必要である。単なる補助金や減免税では不十分で、工業・農業試験場や研究開発機関や大学の農・工学部などの機能を、発展させねばならない。「制度的能力を向上」させた上で、慎重に財政赤字を容認するアプローチが必要である。私は、これを「限定的財政赤字」と呼びたい。それは、ハイパー・インフレに結果するような財政赤字や、税収の半分が倫理観の欠如した役人の懐に消えるような状況を意味するものではない。産業や社会の仕組みを改善していくための、イノベイティブな(革新的な)「良い政府(good government)」の構築を目指すべきで、従来の「小さな政府」論とは、決別すべきである。
   
 ラテンアメリカ社会の現実からすると、制度を改善して「良い政府」を作ることは、遠い理想論に聞こえよう。たしかに、公務員の縁故採用1つとってみても、根が深い。選挙運動への支援への見返りに、政府や自治体のポストが与えられる。政党政治の根幹に関わる問題で、簡単に近代化されるとは、私も思わない。しかし民衆が「取引コスト」の高い、不透明な政府と政治には、辟易していることを、アルゼンチンの暴動は示しているのではないだろか。
   

6 ブラジル、ペルーへの影響は?

   
 ブラジルやペルーも、アルゼンチンのように緊縮型政権が終焉し、ポピュリズムに回帰する可能性があるのか?ブラジルも、本年(2002年)末の大統領選の結果次第では、ポピュリズム型の政権が生まれる可能性を否定できないが、他方でIMFとの合意があるので、誰が当選しても財政政策の裁量幅は小さいとの見方もある。
  

6−1 ブラジルへの影響

   
 筆者は過日(2002年1月)10日間渡伯し、様々な人と話す機会を持った。詳しい分析はこれからであるが、全体としてブラジルは緊縮型財政の悪影響があまり出ていないし、アルゼンチン危機の影響を受けていない。例外もある。たとえばサンタ・カタリナ州首都のフロリアノポリス市である。同市の大部分が収まるサンタ・カタリナ島には、43の美しい海岸があり、毎年数十万人のアルゼンチン人が、太陽と海岸を求めて滞在しにくる。今年は、この旅行客が激減した。
   
 ブラジルはF.H.カルドーゾ(FHC)大統領下で財政緊縮と自由化路線を歩んできた。高金利と為替高(99年まで)で経済は冷え込むはずなのに、実際には数%でGDPは成長してきた。2000年は+4%の成長であったし、01年もプラス成長の見込みである(電力危機の影響でやや鈍化)。不思議な現象である。なぜか?国際競争にさらされた企業が、荒波で揉まれて競争力を獲得した面もあろうが、第1にブラジルは、工業の多様化と発達の度合いが、アルゼンチンとは異なるのである。各工業分野に多様な多国籍企業が進出し、製造業分野への技術移転が進んでいる。欧米の本社に利潤の一部が流出するにせよ、生産システムがハイテク化し、また一部フレクシブル化しながら、高い付加価値がブラジル国内で生産されている。こうした外資と連動した製造業の多様化は、70年代からの傾向である。
   
 第2に、制度面の改善が進み、「取引コスト」が削減されて、ブラジル社会の「贅肉」が減ったのである。「財政責任法」が2000年にできて、無駄遣いが減る可能性が生まれた。「財政犯罪法」「環境犯罪法」もできている。今や、「バッド・ガバナンス(悪い統治)」は、ブラジルでは犯罪である(今のところ逮捕者は出ていない模様)。突然生まれた流れではない。80年代後半に、セアラ州でタッソ・ジェレイサッティが知事に就任して、幽霊公務員(fantasma)を数万人削減したが、このような、無駄な人件費の抑制は、「camata法」(人件費抑制の法律)の影響もあり、各地で徐々に進んできた。脱税をなくし、市民の納税意識を高めることも、「制度的能力向上」の重要な要素だが、この面でも、各地で市郡税であるITPU(都市不動産税)徴税の近代化(土地台帳の整備)が進められている(99年に筆者が直接訪問して見聞した例では、パラ州ベレン市)。依然汚職や脱税があるので、人々は公共部門に不信感を根強く抱いているが、「良い政府」への胎動が始まっている。
   
 第3に、欧米資本は早くから、経済指標には表れにくい制度レベルでの変化に気づき、90年代にはFDIが製造業、通信、金融、サービス分野で増加した。テレコム分野へのFDIは、通信コスト(「取引コスト」の一部)を削減し、ビジネスの効率を高めたと私は思う。金融セクターへのFDIの、成長への寄与度は不明だが、製造業部門やサービス部門へのFDIは、成長へ貢献したと見るべきであろう。
    
 制度的能力の強化が進んだ段階で、ブラジルは「小さな政府」(財政緊縮)路線を離れて、「良い政府」路線へと、歩む道を切り替えるべきである。そのことがさらに外資の導入を招くに違いない。日本企業についていえば、汚職・脱税天国の従来のイメージだけでブラジルをとらえるのではなく(これで苦労を重ねた企業も多いであろうが)、制度レベルでの新しい変化に、注目すべきである。ちなみに理想の「良い政府」は環境規制も厳しいので、エコロジカルな国際競争力を有する外資(例:ISO14000取得企業)を、ブラジルは、将来、優先するだろう。

   
6−2 ペルーへの影響

   
 ペルーは、制度的能力の向上の方向性が、明確でない。1990年代のフジモリ政権は、世銀(制度重視)よりは、IMF(自由化重視)寄りであったと言えよう。同政権は、地方政府を介さず中央集権的に貧困対策を実施した。これは確かに迅速で効率的な貧困撲滅の方法であった。実際に、リマの貧困地区でも、カハマルカなど地方でも、貧困対策(小学校、灌漑施設、保健所の建設や、ミルク配給制度の充実など)は民衆の間で高く評価されている。しかし地方自治制度強化という課題には、力を注がなかったという点で、制度的能力の向上への努力は限定されていた。無論フジモリ大統領がテロリズムを制圧したことや、SUNAT(国税庁)を見事に近代化して徴税システムを一定合理化したことは、制度改善と「取引コスト」削減の重要な要素である。しかし同政権は、全面的な制度能力の改善については、ペルーでは時間がかかりすぎると判断し、自分自身の主導性で貧困対策を急速に推し進めたと言ってよい。トレド政権下、経済面では、税制改革(租税特別措置の簡素化やcanon改革)(注4)、労働法の改正(パート労働の斡旋業の禁止)、農業銀行の設立、債務削減交渉、住宅政策(Mivivienda)の拡充などが進められているが、公的部門や制度の近代化への動きがあるようには見えない。公的部門の透明化・合理化をせず、ポピュリズム体制へ回帰すれば、経済が再び破綻する危険性がある。
    
 ペルーにとって重要なことは、新自由主義かポピュリズムかの二者選択ではなく、制度的能力の向上である。このことについて、身近な例を1つだけ、最後に繰り返そう。国家および地方公務員の採用に公平で競争的な試験を導入し、官僚にキャリア・システムを導入して政治任命を極力減らし、市民に対する公僕の責務を公務員に教育すべきである。そうして生まれた新しい「良い政府」は、「限定的財政赤字」という手段で、貧困半減政策に投資するであろう。ペルー人は、IMFよりも世銀の理論に、耳を傾けるべきである。

1 ポピュリズムとは、19世紀の米国の農民運動を指す場合もあるが、ラテンアメリカでは労働者階級に支持されたカリスマ的大統領による政治を意味し、たいてい否定的文脈で使用される。ポピュリズムもファシズムもいずれも、政治学でいうボナパルティズム(19世紀フランスのナポレオンの政治)の一種である。
  
2 2002年1月16日付のアルゼンチン特集内の囲み記事(p.44)による。囲み記事の著者は、アルゼンチン人のホルヘ・フォンテベッキア(Jorge Fontevecchia)氏(ペルフィル社代表・編集長)である。
   
3 IMFは、産業政策の立案を得意としない機関である。筆者はアルゼンチン産業の専門家ではないが、IMFの処方箋が、同国産業の根本的な建て直しに寄与していないとしても、不思議には思わない。
   
4 canonとは、ペルーの中央政府の地方自治体向け歳入分与金(交付税)の1種で、鉱山企業の支払った税の一部が鉱山を有する地方自治体に交付される。鉱業分野以外も制度に取り入れる方向で拡充されつつある。このcanon改革はペルーの地方税制・歳入分与制度の根本的改革ではないが、地域振興にとってさしあたり最も現実的で実行可能性のある、重要な改革である。

(2002年1月 ペルー、リマにて執筆)


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